『貧困の文化-五つの家族の物語』から
『サンチェスの子供たち』へ
貧困の文化を描く試みに学ぶ

オスカー・ルイス『貧困の文化』 ちくま学芸文庫/『サンチェスの子供たち』 みすず書房

0.ライフストーリー論からの批評の立場
0.1 オスカー・ルイスの書評の困難:あるいは紀要原稿の舞台裏

代表的な古典的作品をレビューすることで、ライフストーリー論に指摘される現在の課題を再検討したい。再検討まで至らなくても、何かライフストーリーに感じる課題について考えるヒントを得たい。そのような思いでライフヒストリーの古典を渡り歩き、オスカー・ルイスの『サンチェスの子供たち』(みすず書房)と、その前身とも言える『貧困の文化-メキシコの<五つの家族>』(ちくま学芸文庫)を手にとってみました。
読んでみるとやっぱり面白い。文庫本となった『貧困の文化』が約600ページ、『サンチェスの子供たち』は上下二段で約260ページと、どちらも大作ですが、とても読みやすい。ただ、読後、小説のようなこの本をどのように書評として提示するのか、代表的な古典として未読の方に紹介するにしてもどのように要約するのか、途方に暮れてしまいました。

オスカー・ルイスと著作

オスカー・ルイスの二つの大作から議論を起こそうとして、こうして2016年秋の夜長に困り果てることとなりました。
第一に、先達の書評にもあるように、人物から説き起こそうにも、オスカー・ルイスその人に関する情報が限られています。人物像から作品に分け入るには、情報が乏しすぎる状況がありました。
第二に、これもすでに指摘されていますが、ルイスの作品から議論される点は出しつくされた感があり、すでに「過去の人」のようになっているような状況があります。それはやはり方法論の説明や情報が少ないためでもありますが、近年のフィールドワークの教科書でも、わざわざルイスをとりあげるものは少なくなりました。
その一方で、第三に秀逸な紹介書評がすでにいくつか上梓されています。『貧困の文化』については、ちくま学芸文庫版となるまでに、翻訳者の高山智博氏による三回の解題があります。『サンチェスの子供たち』に対しては、吉田禎吾氏がルイスの著作への批判や特長について秀逸な解説を寄せています。また、社会学の立場からは、ルイス以降に進展したフィールドワークに対する相互作用的な視点を強調した議論が、内田八州成氏によって『現代社会学の名著』(中公新書)にまとめられています。

0.2 社会学的フィールドワークからの指摘

内田氏の書評は人類学の成果としてのルイスの作品を『現代社会学の名著16』の一冊として取り上げているものです。社会学の入門書という性格をもつ新書版の図書の中で、人類学のどのカテゴリーにも属しきれない書物としてルイスの作品は紹介されています。このこと自体は、ルイスの作品の特性をよく表しているともいえます。人類学者オスカー・ルイスの研究は、テーマ性、実態報告としての充実度、調査手法の挑戦性において、アクチャルな社会問題に取り組もうとする社会学にとって非常に魅力的に映ることを改めて実感させられます。
と、同時に、ありがたいことに、内田氏のレビューは、本稿においてルイスを書評の対象とする意義付けをあらためて見直すきっかけともなりました。

実はルイスの書評について、そのほとんどを書き上げるまで『現代社会学の名著』で紹介されていることを失念していた事実がありました。書評を書き進めるつれて、なんとなく自分の書きすすめているものが、どこかで見たことがあるような気がしてきた折に、たまたま社会学の授業の準備のなかで『名著』のことを思い出し、あわてて内容を確認したという情けない状況でした。
そこで、あらためて、自分の執筆中の書評が、内田氏が指摘するポイントとほぼ重なっていることに気づきました。引用箇所すら重複がみられて、自分で書いたつもりが、以前の読書の記憶をなぞっていただけかもしれない恐れもあり、いずれにしても1989年版の『現代社会学の名著』の視点から進歩をみない自分のレビューには、猛省するしかありませんでした。

内田氏のレビューは、ルイスの調査と記述の方法の特質について焦点をあてています。議論では、まず、ルイスの意図について、共通の生活様式をもつものととらえた貧困の現象を「内側からみた姿」を描くことに挑戦し続ける目論見があったこと強調しています。その上で、書評の結びは、「もうひとつの声」としてルイス自身の語りを求めたいと要請することで締めくくっています。
「もうひとつの声」とは、調査対象者の語りに対する調査者自身の声のことです。それは、調査者による事例解説のナレーションを増やすことであったり、さまざまなルイス批判への応答を求めていることではありません。
調査対象の世界そのものにおけるオスカー・ルイス自身という登場人物を知りたいと内田レビューは指摘しています。調査成果の一つとして、調査者がどのように対象や問題に出会い、どのようにして調査プロセスを(調査対象者とともに)構築することになっていくのか、具体的な声として、調査研究自体の相互作用過程を知りたいというのが内田書評の指摘です。
この内田氏の指摘には、調査が対象者といかに出会い、調査そのものを作り出してきたかを知ることにより、読者であるわれわれは、メキシコの貧困の生活により一層近づくことができる、という批評者の視点が感じられます。いわばルイスの経験を通して、読者は貧困の暮らしの現実に近づくという試みを求めているのです。

0.3 『貧困の文化』と『サンチェスの子供たち』の間

調査成果として、被調査者(たち)の単独の語りの分析から、調査上の被調査者ー調査者のやりとりを読み解くことにより、語りのありようを理解しようという分析視覚の移行。それ自体は、経験としてのフィールドワークを振り返る現在の調査法からみて、非常に重要な論点となります。
ただ、内田氏の書評では『貧困の文化』を、そもそもの紹介の対象と切り出しながら、実際には『サンチェスの子供たち』に掲載された議論が多くとりあげられているようです。内田レビューでは、『貧困の文化』や『サンチェスの子供たち』の書物の冒頭でルイス自身が方法論を紹介するようにまとめている「背景」というパートでの解説の特長や、『サンチェスの子供たち』における吉田禎吾氏の解説に多くの論点を得ています。この二つの書物の混濁したとりあげかたからすると、『貧困の文化』から『サンチェスの子供たち』への展開自体については、それほど関心が寄せられていないように思われました。内田氏が参考にされた吉田氏の解説でも、『貧困の文化』から『サンチェスの子供たち』への変化について、より詳細な研究を行った、という表現が出てきますが、”なに”が、あるいは”どこ”が、”どのようにより詳細に”なったのかは、それほど具体的ではないようにおもいます。”内面のありようがよりリアルに伝わるようになった”点が指摘されていますが、どのようにリアルに豊かになったのかは、明確に指摘はないようです。けれども、もちろん、吉田氏の指摘はオスカー・ルイスが求め続けたものと、作品の展開の本質について鋭く言い当てているように思われました。

研究所紀要に投稿した書評では、ライフストーリー論の課題という立場から『貧困の文化』から『サンチェスの子供たち』の”間”に、もうすこし踏みとどまって確認を行いたいと思いました。二つの作品の”間”には、ルイスが貧困の文化を「内側から見た姿」として描く追求のプロセスがあったと思われます。オスカー・ルイスが追及し続けたものは何なのか、その本質から作品はどのように展開したのか、そうしたことを検討しながら、ライフヒストリー、ライフストーリーの議論として彼の著作から学びたいと思います。(山本哲司):2017年1月17日修正

 

 


『オスカー・ルイスの記述と語り』-『貧困の文化-メキシコの<五つの家族>』から『サンチェスの子供たち』へー
(JLSR研究所紀要創刊号p173-p184) に続く…
目次
1.未開の文化=非西欧文化から「貧困の文化」へ
2.「貧困の文化」を記述する-村落共同体から家族共同体へ
3.”記述データ”による報告-「貧困の文化」との出会いの体験
4.サンチェス家の概要
5.家族生活を記述する
6.『五つの家族』におけるヘススの語りの位置づけ
7.「羅生門式手法」と語り
8.個人の生を描くことと共同体を描くこと

 

 


過去の<文献案内>

← 第2回『ライフストーリー研究に何ができるかー対話的構築主義の批判的継承』

← 第1回『誰も知らない屠場の仕事』

 

<読書日記>

← 第1回 野本寛吉『「個人誌」と民俗学』