<目次>
●山田富秋著『フィールドワークのアポリア』合評会
●日系ペルー人強制収容経験の社会学的研究―「ペルー会」に集う人びとのライフストーリーを中心に
●中途盲ろう者のライフストーリーにみる再生の契機
●日本社会学会テーマセッション「ライフストーリー研究の可能性」の報告
●『中国残留孤児の社会学』合評会執筆者:張嵐
●シンガポール人の自己理解――多民族主義と民族的差異のあり方からの考察――
●大人のディズニーランド? 京都上七軒の聞き取りを中心に

山田富秋著『フィールドワークのアポリア』合評会

評者:石川良子、青山陽子、岩橋恒太(6月25日)

今回は今年3月に上梓された山田富秋さんの著書『フィールドワークのアポリア―エスノメソロドジーとライフストーリー―』の合評会を行った。はじめに、石川良子さん、青山陽子さん、岩橋恒太さんの3名の評者が続けて発表し、それを受けて山田さんがリプライした後、全体で討論した。

一人目の石川さんは、フィールドワーカーとしての経験から、エスノグラフィーにとっての「自己言及」/自己の変容の意義や、エスノメソドロジー(以下、EM)の相互行為分析(;LSのストーリー領域の分析)と物語分析のつながり、さまざまな語彙(マスター・ナラティヴ)の用い方など多様な論点を提示した。

二人目の青山さんは、EMとライフストーリー研究の比較/関連性の観点から、理論的かつ分析的な報告を行った。EM批判の妥当性や、(石川さんも指摘した)ストーリー領域と物語世界それぞれの分析のつながり、両研究のマクロなカテゴリー(「集団」「国家」「権力」など)の分析可能性などについてである。

三人目の岩橋さんは、HIV陽性者へのインタビューや支援団体のフィールドワークの経験から第二部に関するより内実に迫った指摘を行った。(第八章において)知識社会学的な解釈枠組みのなかで医師の語りを提示することの妥当性や、語りの文脈の分析の有無などについてである。

そして、山田さんは、まず本書のねらいやEM領域の現況(と批判の対象!)について軽く触れた後に、本書では盛り込めなかった点を補足しながらいくつかのコメントに応えていった。
ストーリー領域と物語領域の分析のつながりは一番重要かつ難解な問題であった/あること、EMは『文化を書く』以降のフィールドワーク論を踏まえる必要があること、第二部に関して医師と患者それぞれの認識枠組みがずれていたことが一番の問題であったこと、など。
全体討論のなかでも、共同研究に関する質疑応答に偏りがちであったが、調査の継続により語りの意味が認識可能となる/調査者の経験の振り返りが可能となるなど、フィールドワークの核心に関わるやりとりも交わされた。(記録者 八木良広)

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日系ペルー人強制収容経験の社会学的研究―「ペルー会」に集う人びとのライフストーリーを中心に

仲田周子(7月28日)

報告内容・仲田さんのご報告は、今年度提出される博士論文についてのご報告であり、戦時中、アメリカ合衆国政府によって強制収容された日系ペルー人の強制収容の経験を、強制収容体験者が語るライフストーリーをもとに、また、強制収容所の「同窓会的な集まり」である「ペルー会」を通して、考察するものである。

・これまで日系ペルー人強制収容に関する先行研究の多くが、強制収容の歴史的経緯やその背景を明らかにするものであり、そこでは、「ナショナルな枠組み」と「強制収容の一面性」が常に前提とされてきたのに対して、本研究では、そうした先行研究のもつ前提を問い直すため、日系ペルー人強制収容に対して以下二つの視点からアプローチを試みている。

・まず、第一に、強制収容体験者(主にA・B・Cさんの3人)が語るライフストーリーに着目することで、過去の一出来事としての強制収容ではなく、体験者のライフ全体を通した強制収容の経験について検討している。
3人が語る強制収容の経験を(報告時に提示された範囲で)簡単に概観すると次の通りである。

Aさん(70代女性)は、強制収容以降、日本に帰国するも、両親の故郷である沖縄に馴染めず、複数の国家のどこにも帰属を定められない、「故郷はない」ものとして捉えており、そうした強制収容以降の生活との関係の中で、強制収容の経験を肯定的に語っている。

Bさん(60代男性)は、強制収容以降、アメリカに留まった日系ペルー人の典型であるが、Bさんにとっての強制収容経験は強制収容以降を含めた家族の歴史の中にあるものであり、BさんとBさんの兄であるSさんは、数歳しか違わない兄弟であるにもかかわらず、全く異なる強制収容の経験を語っている。

Cさん(70代男性)は、強制収容以降、日本に帰国するも帰国直後の父親の死によって家族の「大黒柱」として不本意ながらも働き続けた経験から、強制収容所での生活と強制収容以降の生活との連続性を、「何もかも狂うてしもうたんよ」と語っている。

・それから第二に、戦後離散していった強制収容体験者を、再び結びつける再集団化集団としての「ペルー会」の重層性に着目することで、そうした強制収容経験の現在的意味について検討している。
「ペルー会」は、①補償運動の母体として存在しているが、それは単に「運動組織」という解釈に押し込められてしまうほど単純なものではなく、②自己アイデンティティの母体としても、また、③記憶継承の母体としても、存在しており、これらの三つの相が複雑に絡まり合い、そして矛盾せずに同居している。
そうした「ペルー会」に参加する人びとのアイデンティティとは、人と人との「関係性」を基にしたアイデンティティであり、それは、唯一信頼に足るものであるお互いの関係性を絶対化する、いわば「不器用な絶対主義」として彼らの存在に組み込まれている。
そしてこの「不器用さ」こそ彼らの各々のライフストーリーにおいて語られる苦労を強いられた経験の因子なのである。

・本研究では、ライフストーリーの手法を用いることによって、そうした強制収容をめぐる「苦労」の経験の個別性と共通性を見出すことが出来た。
ライフストーリーの個別性を突き詰めたところに見えてくる共通性によって、経験の共有化を行うことの重要性が見出され、それはナショナルの枠組みを超えた共通の「価値」となっている。
ここに、日系ペルー人強制収容経験が持つ現代性を見出すことが出来る。

議論報告に対して、さまざまな議論が交わされました。
以下、大きく3点をあげておきます。

・博士論文全体の構成の中での「ペルー会」の位置について、「問題関心・研究背景」(1・2章)の後、3人のライフストーリーを提示し(3・4・5章)、「ペルー会」の概要・分析へと続く(6・7章)という構成になっているが、「ペルー会」の概要をライフストーリー提示の前に移した方がよいのではないか、という問いをめぐって議論が行われた。

・(A・B・Cさんの)3人を選んだ理由について、いかにその正当性を明示することができるか、という問いをめぐって議論が行われた。
特に、消極的な選択理由ではなく、3人を選択したことに対するより積極的な意味づけが必要なのではないか、また、そうした事例間の個別性と共通性を明らかにすることの有意性の明示化が必要なのではないかとの意見が交わされた。

・本研究の試みの一つであるトランスナショナルの「問い直し」をめぐって議論が行われた。特に、最終的な結論部においてトランスナショナルが問い直されているのか、という問いが出され、またそうした「問い直し」の手がかりとして、補償運動のもつ意味、二世であることの意味などを、より積極的に意味・位置づける必要があるのではないかとの意見が交わされた。などなど。以上、大変有意義な議論が交わされました。(記録者 木村豊)

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中途盲ろう者のライフストーリーにみる再生の契機

柴崎美穂(2011年10月7日)

柴崎さんが現在執筆中の博士論文について、当日ははその中でも特に、中途盲ろう者から聞き取ったライフストーリーのトランスクリプトを豊富に提示しながらの報告でした。

まず、自己紹介も兼ねて研究に取り組むにいたった経緯と、盲ろう者とはどのような人びとかについて説明がありました。
言語聴覚士でもある柴崎さんが過去に業務で面接した盲ろう者の女性がとても「落ち込んでいた」ので、「この人に元気が出るといいな」と感じ、相談の継続を持ちかけたが断られ、そのときの「無力感」が本研究の出発点になったそうです。
このような経緯から本研究は、中途盲ろう者のライフストーリーから、「落ち込んでいる」盲ろう者が「元気を取り戻していく=再生」の過程を明らかにし、どのような支援のあり方が可能か新たな知見を提出することを目的にすることが示されました。

当日用意されたトランスクリプトは、これまでに柴崎さんがインタビューしたうちから2名の語りを、「再生」の契機に着目しながらおおよそ時系列にそって構成したものでした。
2名とも全盲ろうではなく、弱視難聴で、難聴になったタイミングと弱視になったタイミングは違います。
仮に技術的・制度的な支援があったとしても、盲ろう者はその情報へのアクセス自体が制限されるため、利用できるものを利用できない、知らないままで困難な生活を強いられるということが、2名の語りからも豊富に描き出されていました。

病気の発覚や病状の進行だけでなく、人生の様々な場面で「落ち込む」こともあったが、それも補装具やヘルパー制度などを利用して移動、情報へのアクセスが可能になったことで解消されていった。
また、点字の習得が大きな転機として語られていたが、それもただの情報アクセシビリティの保障という意味だけでなく、点字を学ぶ過程での人びととのコミュニケーションが、ある種のピアサポートになっていた点などは印象的でした。
そして、単に制度の枠組みを整備するだけではなく、友人や家族からの励ましなども含めて、世界とのつながりを実感できるコミュニケーションの必要性が示されました。

質疑質疑ではまず、博士論文執筆(提出)に向けてのテクニカルかつ戦略的な意見が出され、次いで報告内容について以下のような議論がありました。
・ どのような具体的支援が可能かにつながる共通の経験を抽出するだけの構成ではもったいないのではないか。
また、盲ろう者の現実はまだまだ知られていないことを考えれば、そもそもにしてどのような困難に直面しているのか、当事者の語りを言語化していく作業それ自体も重要な支援といえる。
・ (柴崎さん自身も報告の中で留保を加えていたことだが)「落ち込んでいる」人びとが「元気を取り戻す」のがはたしてよいことなのか、そのままではいけないのか。
「再生」や「回復」という目標設定は、モデル・ストーリーとしての障害受容論に親和的だが、元気でなければならないのか、元気とは取り戻さなくてはならないものなのか。
・ 上記とも関連して、「再生」という目標設定をしての仮設-検証型の章構成にするのではなく、ライフストーリーそれ自体が回答になるような探索的なアプローチでもよいのではないか。
・ 盲ろう者といえば福島智さんという巨人がいるなかで、それとは異なる弱視難聴の人びとについての報告はとても興味深かった。
だが2名がいずれも弱視難聴であること、さらにはインタビューでは弱視の話は弱視の話、難聴の話は難聴の話と、別々のトピックとして語られており、これまでに蓄積されてきた軽度障害者の研究によく似ている印象。
そのためか、盲ろう者の経験というインパクトが伝わりにくい。
・ 上記とも関連して、口で喋って耳で聞くという音声言語を自明のものとして生きている私たちとは、コミュニケーション手段が異なり、それゆえに様々な問題も生じる。盲ろう者特有のコミュニケーションについては、インタビューで語られた内容(経験)だけでなく、インタビュー場面の記述そのものからも描き出せる。

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日本社会学会テーマセッション「ライフストーリー研究の可能性」の報告

橋本みゆきさん(2011年11月7日)

9月17日に関西大学で開催された第84回日本社会学会大会でのテーマセッション「ライフストーリー研究の可能性」についての報告でした。プログラムと各報告要旨は下記URLをご参照ください。http://www.gakkai.ne.jp/jss/research/84/conf84_pmain.html#theme1まず橋本さんから、主にフロアからのコメントや質疑応答をまとめた資料を配布しての簡単な報告があり、報告者である小倉さんと田代さんからも追加でコメントをいただきました。

さしあたり、来年も継続して第3弾を企画するならばということで、2つの提案がありました。 (1) 昨年と今年のテーマを引き継いで、今度はアウトプット/記述の方法をテーマにする。 (2) 方法論だけでは空中戦になってしまうが、かといって限られた報告時間で事例を提示するのは難しい。そこで報告者全員でテーマ(検討する事例)をそろえてみる。

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『中国残留孤児の社会学』合評会執筆者:張嵐

渡辺雅子、八木良広(2011年12月19日)

今回のライフストーリー研究会は、張嵐氏執筆『中国残留孤児の社会学:日本と中国を生きる三世代のライフストーリー』(2011年、青弓社)の合評会であった。

「中国残留孤児」とは第二次大戦後も「中国に残留し、肉親とわかれ「孤児」となった日本人子女」(張2011:13)をさす。
日本において日中国交正常化の後の1980年代に、彼女たちの存在はクローズアップされ、また2002年には国家に対し集団訴訟を起こしたことで注目をあつめた。

著者は2005年に「中国残留孤児」と出会い、「どのような歴史を背負っているのか、日本と中国との狭間でどのように生きてきたのか、また、どのように生きているのかを知りたい」という動機から研究をはじめたと述べる(同:14)。
本書は張が出会った人びとの様々な生の多様性を、ライフストーリー研究という形で提示し、世にその存在自体を問いかけるいわば「大河」研究としての執筆されたものである。
「中国残留孤児」研究としては、今後間違いなくその研究史の中核を担うであろう労作といえる。

合評会においては、研究の意義を理解した上で、様々な批判が提出された。
第一報告者の渡辺は全体を細部にわたりフォローし、細かい点においても質問を投げかけた。
まず全体を通じた最も大きな問題点として、聞き取り資料が全般的に整理されて提示されておらず、「何人か聞き取りを行った人の中から何故その人を選んだのか」がわからない点が指摘された。
また抽出した語り手の情報も精緻さにかけ、読者が語りを充分に理解できないことが指摘された。

その他、あつかっている新聞が中央紙に偏っている点それぞれの章で一般化をはかる書き方の問題(例えば、第二報告者の八木は「中国残留孤児の全体像」を描くといった目的が達成されていない点を指摘する)、著者が中国人としての聞き取りのメリットを主張しているが、逆に前提となっている文化的な違いが明確化されていないことなど多岐にわたる質問が提出された。

第二報告者の八木は、渡辺と同様の論点を提出しつつ、特にライフストーリー研究の持つメリットを充分に生かし切れていない点を指摘した。
例えば、モデルストーリーと個別ストーリーの「違い」についての指摘はあるが、その上で何を主張したいのか考察が足りない点。
ライフストーリーで語られた用語(例えば「血統」)に対する、それぞれの使い方、意味の込め方の違いへの配慮のなさ、分析の際に抽象概念に逃げてしまっている点などである。

これらの問題は張自身が不十分と感じている点が多く、多くは今後の課題として残された。
またこの本がすでに書かれた論文を中心にまとめたものであり、章ごとの完結性が逆に記述の不十分さをもたらした原因であることが明確になった。

その他、フロアーからの論点として、ライフストーリーの描きこみ方の問題、そもそものモデルストーリーの捉え方など大きな論点が提出された。
全体を通じて言えた最大の批判点は、せっかく聞き取って蓄積もある「中国残留孤児」のライフストーリーが様々な原因から本書では充分に提示されておらず、中途半端なものとなってしっている点であった。

冒頭に述べたように、本書は「中国残留孤児」の研究においては今後のその中核をなすであろう労作である。
そしてそれは同時に、さらなる分析や描き方が可能なことを示す結果となったといえる。
その意味で張の今後の研究に期待が寄せられる合評会となった。最後の細かい点まで充分に読み込み、多様な質問をしてくださった渡辺先生に特にお礼を申し上げます。
そして張さんお疲れ様でした。
今回の指摘を受けた次回作がさらに楽しみです。(記録者 佐々木てる)

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シンガポール人の自己理解――多民族主義と民族的差異のあり方からの考察――

斎藤真由子(2012年1月26日)

[報告内容]
斎藤さんのご報告は、多民族社会シンガポールにおいていかにして「シンガポール人」が形成されているのかという問いに対して、人びとの日常生活からその考察を試みるものでした。
具体的には、シンガポール中部に位置するリトル・インディアでのフィールドワークで得たデータを提示しながら、文化的、宗教的にもまったく異なる「民族(race)」に属する人びとの相互行為のあり様について明らかにされました。

報告ではまず、シンガポールにおけるネイション・ビルディングの複雑さが国家成立の経緯や概況、先行研究から説明された。
シンガポール人を構成する4つの民族(華人系、マレー系、インド系、その他)は、ネイションとしての一体感をもたらす共通の基盤が欠如しており、シンガポール政府は言語政策、教育政策、住宅(団地)政策からなる多民族主義政策を採ることによって「シンガポール人のためのシンガポール」を実現している。

しかし、これらシンガポールの多民族主義に関する先行研究からは、人びとが多民族主義をどのように受け入れ、他民族との関係性を築きあげていくのか、という実際の社会の様子がみえてこないという指摘がなされた。
また、先行研究の状況については、シンガポール政府による監視が厳しく、現地でのフィールドワークが難しいということも言及された。

つぎに、報告者が2009年から行っているフィールドワークのなかから、シンガポールで生活する人びとの相互行為の事例が紹介された。
ここでは、特定の民族による集住を避けるために、政府によって民族別居住割合が決まっている団地という空間においては、門扉を宗教的装飾で飾りつけたり、反対に宗教的理由から何も装飾を施さないなど、住居スペースが規格化されているからこそ、逆に民族間の差異が顕著に浮き出て、多様な民族が共存しているということが日常的に認識可能な状態であることが述べられた。
そして、常に民族的差異が可視化されている空間での相互行為の例として、リトル・インディア近くにあるウェット・マーケットと呼ばれる市場での参与観察の記録が示された。
最後に、政府の政策によって民族間の関係はコントロールされつつ、その差異が強調されるという社会のなかでは、民族間の差異を保持していることで「シンガポール人」という自己理解が形成されているということが提示された。

[議論]
以下、報告についての議論を4点にまとめて挙げておきます。
・シンガポールについての基本的な質問(政権や民族、政策など)があり、そのことと関連して、なぜ社会科学系の調査研究が難しいのか、現地でのフィールドワークをもとにした先行研究はあるのか、それはどのような形で行われたのか、報告者はどのような形でフィールドワークを行っているのかなどの議論が交わされた。
・国の政策として表れる多民族主義と、参与観察を経てみえてきた民族的な側面の関係をめぐって質問がだされ、人びとが「シンガポール人」だと自己理解する場面はどのようなときなのか、その自己理解とは誰に向けられたものなのかということについてやりとりが行われた。
・オーストラリアなどのマルチカルチュラリズムとシンガポールの多民族主義がどう違うのかという質疑があり、シンガポールにおける多民族主義の特異な側面について意見が交わされた。
・報告で提示されたデータに関連して、民族間の相互行為にポイントをおいてアイデンティティの形成について議論するならば、異なる民族が良好に共存する事例を提示するよりも、多民族が「苦労」して国家を成立させている側面を示す方が理解しやすいのではないか、というアドバイスがあった。
また、民族の差異性が顕在化しているなかに、ある種の平穏を感じ取り、そこに民族を包摂するナショナル・アイデンティティが形成される可能性を見出そうとする点は、新しくて面白い議論が展開できるのではないかという感想がよせられた。
(記録 仲田周子)

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大人のディズニーランド? 京都上七軒の聞き取りを中心に

中原逸郎(2012年3月14日)

[報告内容]
本発表は、報告者中原が京都にある花街(かがい)上七軒で行った、花街を支えてきた芸の担い手や、元お茶屋関係者の聞き取り調査の内容を報告するものである。
京都には、芸妓が地唄、舞、京都弁で顧客をもてなす「花街」が5つあり、上七軒はその一つである。
報告者中原は、聞き取り調査などを行った上で、花街の変化から社会の近代化を浮かび上がらせることを目的としている。

報告では、最初に配布された参考資料を用いて、花街に関する基本的な情報の確認が行われた。
たとえば、花街のしくみとして責任者の女将は「お母さん」「女将(おかみ)さん」と呼ばれ疑似家族の様相を呈していることや、芸舞妓の希望者が「見世出し(店出し)」とよばれる舞妓としてのデビューを飾るまでの訓練課程などが紹介された。
また、重要な項目である初めての客は常連客の紹介なしでは利用できないという「一見さんお断り」という暗黙のルールや、花街独自の遊興費の支払い方法、上七軒で行われている年間行事などについても説明が行われた。

その後はパワーポイントによる報告に移り、具体的な聞き取り調査や調査時に撮影された写真の紹介などが行われた。
最初に報告者自身の花街との関わるきっかけが示された。
そして、撮影された写真の紹介や、比較対象であるディズニーに関する先行研究レビューや報告者による花街との比較が行われた。

それによると、花街とディズニーは外部空間との断絶を空間の配置(ディズニー)や「一見さんお断り」(花街)というシステムにより創りだしており、非日常空間を創出しているという点で類似性があるという。
一方で、ディズニーが子どもを対象とし日本的な要素を排除しているのに対して、花街は大人を対象とし日本的要素を強調しているという違いも示された。

その後は、具体的な聞き取り調査の内容紹介になった。
ここでは、報告者が聞き取り調査や二次資料を元にした上七軒の地図が提示され、1952年と2012年現在の間で街の様子がどのように変わったのかという調査結果が示された。

それによると、実際に顧客が楽しむ場である「お茶屋」の数は、1952年には42軒であったが、現在は10軒まで減少した。
一方で、芸妓舞妓の数は最も減少した時期に比べると回復傾向にあるとのことである。

最後に、実際の花街関係者に対するインタビューのスクリプトも紹介され、1980年代の花街に関する語りが紹介された。
ここでは、バブル期に質の低い顧客がいたという語りや、芸妓舞妓の髪型をくずしていけないという厳しい決まり等に関する語りが示された。

[質疑応答]
以上の、報告内容について参加者からは、以下のような質疑がなされた。
・上七軒のロケーションについて、被差別部落との位置関係はどうなっているのかということが質問され、報告者により、確実なことは不明だが、基本的には被差別民ではないと考えているという回答が示された。
・調査の概要と提示された地図について質問があった。
報告者は3年前から集中して調査をおこなっていることや、聞き取り調査にあたり調査協力者が説明なく地名や人名などに触れることがあるので、地図が分からないと話の内容を理解できなかったことが示された。
報告者によると、パンフレットなどを元に名簿を作成し、関係者の人間関係などについても調査したという。
・上七軒の京都全体の花街での位置付けについて質問があり、地元の人の自己申告ではあるが、伝説のある場所で格式高い場所とされているという回答があった。
・若い人が芸妓になることが増加しているという状況を踏まえ、その背景や、芸を伝える流れがどのように変わっている(いく)のかという質問があり、それに対してカラオケ文化の影響やDVDなどの登場による伝承の仕方の変化があり、さまざまな事柄が伝わりにくくなっているという報告者の見解が示された。(記録 池上賢)

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