【会員文献紹介】『誰も知らない屠場の仕事  新装版「屠場文化」』

このコーナーでは、研究所に関わる方々の研究活動の内容を広く理解していただくために、研究所会員の文献のご案内を行います。
(この記事は、以前に当HPで「読書案内」として公開されていたコラムです。このたび「読書案内」をHP構成の変更により「会員文献紹介」に統合することとなりました。)

今回は、桜井厚・岸衛・田中政明が行った滋賀県の被差別部落の聞き取りから、屠場と牛肉にまつわる生活文化を描いた一冊をご紹介いたします。

『誰も知らない屠場の仕事  新装版「屠場文化」』

桜井厚・岸衛(編) 創土社 2015

<日常から抜け落ちているもの>

誰も知らない屠場「牛が牛肉になって私たちの食卓にのぼるまでに、どのような人の手をへているのかとなると、どうもはっきりしない。……私たちには牛と(店先でトレイにきれいに並べられた)牛肉が一連のつながりをもっていることさえ思い浮かんでいないのかもしれない。牛と牛肉をつなぐ一連の過程は、私たちの日常生活のなかではなぜかすっぽりと抜け落ちているのである。」

この本を世に問う出発点として、著者の桜井さんは上記のような疑問を投げかけています。

「…その一因は、どうもその過程で中心的な位置をしめる屠場が、私たちに見えていないことにあるのではないか。「トジョウ」と言われて即座に「屠場」の字を思い浮かべる人はほとんどいないし、「屠場」とわかっても具体的にイメージできる人もそれほど多いとは思えない。……では、私たちから隠されていたり、私たちがみないようにしている屠場とは、どのようなところなのか。どのような人々がいかなるかかわりをもって働いているのか。そして現在、どのような問題をかかえているのか。」

<「屠場文化」を描く>

「隠されて」いたものを紹介する本書では、何かおどろおどろしいものが描かれるわけではありません。
例えば、新装版となった本書の目次には、本書の”楽しさ”を伝えるために、旧版にはなかった”おいしそうな”言葉が追加されています。
「スジ肉とどろ」「なかのもん」「さいぼし」…。

ただ、それらは単なる屠場をめぐる食の記録として登場するのではなく、屠場に関わりながら生きてこられた人々の語りの中で生き生きと登場してきます。

”牛が食卓にのぼるまでの間にある屠場とそれをめぐる人々の物語”は、被差別部落の豊かな生活文化を描き出します。

例えば、「活人碑」と名付けられた生き物の鎮魂碑前での、一大行事としての慰霊法要の話。
それは慰霊と同時に、卸業者をはじめ関係者や地域の要人も集めた、職人の祭りでした。
むらには紅白饅頭が配られ、演芸大会が催され、職人には金一封が贈られていました。

一方、牛は食肉になると同時に、皮革などの多様な製品の原材料となることで、多くの仕事を生み出してきました。
牛の買い付け業、博労と「追い子」の伝承、「割屋」という言葉と仕事、屠夫長の語る「板場」と「さばき」職人、屠夫組合の設立、解体業者組合への組織化、「洗い」、内臓屋、肉を買い付ける朝鮮人、行商、化製場の仕事、「ゴミ皮屋」の現在、市営屠場の場長という公務員…
…本書では、牛と屠場にまつわり生み出されてきたさまざまな職種のありようと、「私たちから隠さ」ざるをえない状況などへの思いが語られています。

<新装版として>

旧版屠場文化「牛が食卓にのぼるまで…」とキャッチコピーが付された本書は、2001年に出版された滋賀県近江八幡の屠場とともに生きてこられた方々の生活の記録です。
このたび十数年ぶりに、新装版として「誰も知らない」シリーズの1冊として登場しました。
旧版のハードカバーから、手に馴染みやすいソフトカバーに、色調も旧版のブラウンからポップなブルーへと、親しみやすい図書として生まれ変わりました。
(お値段も、より親しみやすいものになりました)。

「私たちから隠されていたり、私たちがみないようにしている屠場」と、それらの人々の生活の課題は、本書のようにより親しみやすく、身近な日常生活へと近づいてきているでしょうか。

(山本哲司)