2026年

産業変動に向き合う専門職――乳業の構造変化を企業所属獣医はいかに乗り越えたのか

【報告者】 土田拓
【開催日時】2026年2月8日(日)13:30-16:30

【概要】
戦後日本の乳業は政策支援や技術革新、市場拡大により成長してきたが、その構造変化が現場で働く人びとの仕事や生活に与えた影響は十分に検討されてこなかった。本研究は、北海道の乳業メーカーで臨床獣医師として働いた男性のライフヒストリーを手がかりに、①乳業の構造的変化に伴う専門職の役割変容と、②それに対応する実践や知識・技術のあり方を分析する

モンゴル人未婚男性の結婚難に関するライフストーリー分析――親子の語りを通して

【報告者】 烏英嘎
【開催日時】2026年2月15日(日)13:30-16:30

【概要】
本稿の目的は、ライフストーリー分析を通して、結婚難に陥っている未婚男性が自分の人生をいかに振り返り、自分の結婚難の状況をいかに意味付け・解釈し、それがどう変化しているのかを明らかにすることである。2017年、当時26歳のモンゴル人男性Sさんに約2時間の半構造化インタビュー調査を行い、そして、6年後の2023年同じ調査項目を含め、未婚のままである32歳のSさんに2度目に半構造化インタビュー調査を行った。その時、Sさんの語りから本人の結婚に関してその母親の意見や行動が大きくかかわっていることがわかったため、Sさんの紹介で母親のDさんにも約2時間半の半構造化インタビュー調査を行った。

その結果、結婚難に陥っている当事者である未婚男性にとって、結婚難の要因が固定的なものではなく、年齢の変化によりその結婚難の要因が異なり、未婚男性はその都度それに相応しい行動を取り、結婚に向けて取り組んでいたことがわかった。2017年の第一回目の調査時、未婚男性は結婚に至るまでのハードルが高いことを実感していたが、2023年の第二回目の調査時は、付き合うまでのハードルも高くなり、同時に付き合って結婚に至るまでのハードルがさらに高くなっていたことを自覚していた。しかし、出会いルートが拡大しているから、自分もいつか結婚できると楽観的に受け止めている。また、未婚男性の自分の結婚難への意味付け・解釈やその変化が本人によるもののように見えるが、実は母親は重要な他者として、その言動が意識的であれ、無意識的であれ、息子の結婚意識に影響を与えていたことがわかった。

苦しみと向き合う生活史研究の系譜

【報告者】 大島岳
【開催日時】2026年3月7日(土)13:30-16:30

【概要】
1971年に中野卓は柿崎京一と岡山県倉敷市の公害調査に取り掛かり、内海松代(仮名)の強く生きる姿に興味を持ち『口述の生活史』(1977年)としてまとめた。
生活史研究の嚆矢とされる本研究の前に、原爆被爆者の生活史をまとめた石田忠『反原爆 : 長崎被爆者の生活史』(1973年)が上梓されていたことは既に指摘されている通りである(大島 2020; 2023)。石田は,被爆者の〈漂流〉から〈抵抗〉への絶望や苦しみから反原爆の思想化として再生に向けたレジリエンスの過程を詳細に捉えている。また浜日出夫が指摘するように、1960年代に集団就職の様相が変化し、「下積みの安価な労働力」として都市下層に組み込まれたN・N(永山則夫)の生活史を資料から研究したのが、見田宗介『まなざしの地獄』(1973年)である(浜 2023)。本研究も,戦後の生活史研究の一つの展開とみなすことができる。ここではレジリエンスを妨げる生の拘束条件としての〈まなざし〉が論考されている。
 上記三つの生活史研究は、戦後に「飛躍的な発展を要請され、その中で戦前とは異なる大きな役割を期待されることとなった」(江口編 1990:360)社会調査の一つの形であると言える。原爆被爆者のライフ、公害被害調査、都市貧困研究として分化しつつも、生活史をとおし領域横断的な対話を行うことを可能にし、学際的な社会調査を進めていくために重要な基礎を築きあげたと考えられる。1976年には水俣病「不知火海総合学術調査」が開始されるが、その端緒を開いたのは石牟礼道子『苦海浄土』(1969年)と民衆史を切り開いた色川大吉との出会いであった。石牟礼の自然と人との関わりという意味での生活史の「きき書き」と、そのままでは歴史の中に埋もれかねない水俣の人びという意味での百年にわたる生活史の「聞き書き」が交差し「総合学術調査」が誕生したのである。この調査を通して、鶴見和子は「内発的発展論」(1976年)を探求し、宗像巌は最激甚被害地の茂原地区において、なぜ住民がいまだに「強靭な復元力」を維持しているのか(宗像1983: 114)について具体的なレジリエンスの機序について明らかにした。

 本報告は、生活史/ライフストーリー研究を「苦しみと向き合う社会学」として整理する試みである。

沖縄戦と向き合う意識の生成過程:忘れられた元白梅学徒隊中山きくのライフヒストリーを紐解く

【報告者】 石川勇人
【開催日時】2026年3月8日(日)13:30-16:30

【概要】
本報告の目的は、沖縄戦体験と向き合う意識がどのように生成されたのかを、元白梅学徒隊の中山きくのライフヒストリーを基に検討することである。白梅学徒隊とは、沖縄戦の際に戦場へ看護要員として動員された人びとを指す。白梅学徒隊の沖縄戦体験を聞き取り、記録する運動は1990年代に活発化したが、運動の中心の1人が、本報告で取り上げる中山きくである。中山は1975年から1980年にかけて広島で生活し、そうした戦後の移動経験と被爆地での生活体験を通じて、沖縄戦と向き合う意識を形成していった。しかし、このような個人の戦後史は、これまでの歴史叙述のなかでは十分に取り上げられてこなかった。では、なぜ元学徒の戦後史(個人史)は歴史叙述の対象外となってきたのだろうか。
 そこで本報告では、まず①白梅学徒隊および沖縄戦体験記録運動に関する先行研究を再検討し、同運動が何を想起し、一方で何を忘却してきたのかを、記憶史の観点から考察する。あわせて②中山にとって広島に住む経験がいかなる意味をもったのかを、同時代の広島の社会状況と接合しながら分析する。以上を通じて本報告は、沖縄戦体験と向き合う意識が、戦場体験それ自体から自明に生起するものではなく、広島という被爆地の戦争記憶との接触を媒介として生成される過程を明らかにするとともに、そうした生成過程が既存の歴史叙述の枠組みから零れ落ちてきたことを提示する。