例会レポート5月

『メディア経験研究への視座――「送り手としてのオーディエンス」分析の可能性』(池上賢)

1.報告概要

本報告の目的は「メディアから情報を受信する“オーディエンス”であること」と「不特定多数の人々に情報を発信したり表現活動を行う“送り手”であること」をが、同時並行的に日常的な経験となったメディア環境における、メディアとアイデンティティの関係性について分析視座を検討することである。

初めに報告者は、これまで行ってきたメディアとアイデンティティの関係性に関する研究の内容について紹介した。具体的には、マンガをはじめとするメディアに関わる経験は,オーディエンスの日常生活における「語る」という行為の中で提示される,ナラティブ・アイデンティティのリソースになるということが明らかにしたことを紹介した。

そのうえで、ナラティブ・アイデンティティという概念について、「複数の出来事の連鎖,すなわち,複数の出来事を時間軸上に並べて順序関係を示すこと」をナラティブとして定義した。また、ナラティブに出来事の関係を示す「プロット」(出来事Aが原因となりBが起こったなど)が加わったものを「ストーリー」と呼称し、ストーリーを基盤としたアイデンティティをナラティブ・アイデンティティとして捉えることを示した。

そのうえで、人々がオーディエンスであると同時に送り手でもあることが可能になった現代社会において、どのような視座によりメディアとアイデンティティの関係性を分析すべきか検討する必要性を主張した。

次に筆者はオーディエンスの定義を行ったうえで、現代社会においてメディアとアイデンティティを分析する場合にも、「[受け手]と単純化された」オーディエンスではなく、情報の受容者であると同時に、発信も行うことが出来るオーディエンスを分析する必要があるとした。そこで、オーディエンスであるとともに、情報の発信や表現活動も行う人々を暫定的に「送り手としてのオーディエンス」と呼称するとしたうえで先行研究を検討した。

第1に、オーディエンス研究においては、送り手は十分に分析されていないことを示した。

第2に、ファン研究は、同人や二次創作として知られる新たなテクストの生産に着目していおり、日本でもオタクに関する研究が行われているが、ファン研究が想定しているのは、あくまでもオーディエンスがファンとして行う送り手としての実践に限られるという問題があることを示した。

第3にインターネットに関する研究は、インターネットユーザーが、どのような動機に基づいてホームページの作成やウェブ日記を公開しているか明らかにしているが、個人個人にとって、インターネットの登場、ホームページの作成が持つ意味づけについては、十分に明らかにされていないことを示した。

第4に送り手研究は、多くの場合、産業に関する議論に限られていることを示した。

ここまでの成果を踏まえて報告者は「送り手としてのオーディエンス」を分析するということを考える際に、ファン研究や、インターネットに関する研究、送り手に関する研究は、有効な知見を示している一方で、メディアとアイデンティティの関係性を捉える上で、適切な視座とは言い難いとまとめた。
以上を踏まえて筆者は分析視座の析出のために、筆者自身が行ったライフストーリーインタビューのデータを再分析した。

初めに、マンガ家柳沢きみおのファンであり、インターネット上にファンサイト(ホームページ)を作成し、同好の士と交流するなど積極的な情報の発信を行っていたAさんのデータを分析した。分析の結果、Aさんのライフストーリーにおいて、インターネットの登場と、そこでの活動は、「新しい自己像の獲得やアイデンティティ形成に関わる過程であり、新しい意味体系を獲得した<転機>」であると捉えることが出来ることが明らかになった。 しかし、Aさんが語るナラティブは必ずしもファンとしてのアイデンティティに結び付くだけでなく、“社会学を学んだ人間”や“父親がいない自分”というアイデンティティにも結び付くことが示された。

次に筆者の知人であり、現在はクラシック音楽の比較的マイナーな作品をCD化する小さなレーベルを運営しているSさんのライフストーリーを紹介した。Sさんのデータの分析からは、あるメディアとの関わりは必ずしも情報の受容ではないということや、そのナラティブは、単に“クラシックファン”としてのナラティブではなく、日本人というナラティブも関連付けられることが示された。
最後に、作家であるVさんのインタビューデータを分析した。Vさんは、一貫して読書に関する経験を語っていた。Vさんの語りはメディア経験と送り手としての経験が連続性を持つことを表していた。一方で、インタビューにおいて、Vさんは自身が文筆業を続けている理由の一つとして、高校時代に体調不良に陥ったことにも触れていた。

以上の分析から、暫定的な知見として、「オーディエンスとしての経験と、送り手としての経験の不可分性」、「『送り手としてのオーディエンス』に関わる活動が、関連付けられるナラティブ・アイデンティティの多様性」が示された。また、それを踏まえると今後のメディア・オーディエンス研究は、メディア経験研究に移行していくべきではないかという点を主張した。

2.質疑応答

以上の報告について、以下のような指摘・質問がなされた。現段階での回答については、“→”を使用して記載する。

〇 複製芸術とそれ以外は切り離して考えた方がよい。
→報告者自身も演劇や発表会活動などとの関連をどうするか迷っていたところがある。混乱を避けるためにも、今回は複製芸術に限定したという議論にしたいと思う。

〇 Vさんのインタビューにおいて、100万回聞かれているかもしれないが、大学は文学部希望ではなかったのか、と質問している。Vさんはプロなので、繰り返しインタビューを受けており、回答がパターン化している可能性があるのではないか。また、それにより、ナラティブ・アイデンティティが固定化している部分もあるのではないか。
→自分自身は、一般的な意味で聞いているので、判断に迷う部分もある。私の知る限りVさんがインタビュー慣れしているということは聞いていない。

〇 研究の目的・先行研究の整理・事例がマッチしていない。研究目的がメディアとアイデンティティの分析視座を検討するということで、一般化された分析枠組みを目指しているように見える。実際には、最終的に一般化された理論が出てくると思うのだが、なんにでも当てはまることになってしまっている。結果として、それぞれの事例の個別性が捨象されている。
→指摘の通り、トランスクリプトの読み込み不足もあり、無難な結論になってしまっているところがあると思う。現段階のデータでどこまでのことが言えるかは、検討する必要があるが、個別の事例がもつ面白さを伝えられるように再構成したい。

○ 先行研究で取り上げるのはファン研究だけで良いのではないか。そのうえで…
① そこからさらに発展するにはどうすればよいのか?
② 普通のオーディエンスの消費や送り手としての活動(目的がないtwitterでのつぶやきなど)も分析対象とする
といった論点に絞るというのはどうか。
→報告者としても、先行研究については、手を広げ過ぎであると思っているので、先行研究の提示の仕方については、ファン研究に焦点化する方向で再検討したい。

○ 今回の事例では、対象者3人が全員ファン。ファン研究へのカウンターになっていないのでは、一方でファンが送り手になったというストーリーはわかりやすい。
○ ファン研究の方法論に触れる必要がある。
○ 事例との兼ね合いを構成で考える。
→以上の指摘に対しては、オーディエンス研究におけるファン研究の位置づけをもう少し丁寧に記述することで対応したいと考える。

○ 送り手という言葉がわからなかった。これまで、オーディエンスがずっと分析されてきた。インターネットなどは道具にすぎないが、送り手としての表現する人が増えてきて、それをうまく分析している言葉がない。送り手研究は産業論であったが、実際に個々のパーソナルな人間が送り手になったのは、ここ10年くらい。したがって、送り手の概念は弱い。むしろ、事例に寄り添いながら、送り手って何なのかというのを決めた方がよいのではないか。
→ご指摘の通りで、今回の分析は先行研究に関する記述を重視した成果、最初に枠組みをかっちりと固め過ぎているように思う。むしろ、データの記述を分厚くして、今後に向けた考察を提示するという形に再構成したい。

○ 自分は、民俗芸能の聞き手の心性の分析を行っている。質問として、自分の分野では、送り手としてのオーディエンスというのは珍しいものではない。つまり、民俗芸能の伝承者が聞き手であり、演奏家でもある。そして、現在ではそれが逆転してしまっている。たとえば、能なども、アマチュアとしての素人をプロがサポートするなど、受け手と発信は区別がない。情報の発信と受容が区別することはなじみがないといっているが、それは音楽によるのではないか。
→その点については、確かに気がつかなかった。今回の事例だとSさんは普通に聞くこともあるクラシック音楽なので、ある程度オーディエンスと送り手が分離している事例になったのだと思う。

〇 個人が情報発信できる時代にもかかわらず、ファン研究の目配りが足りていないと受け止めた。自分が大学出る時代にホームページブームだった。それがメディア経験を変容させて、インターネットの登場のインパクトがでかいように見える。
→もちろん、インターネットの影響は大きいと感じている。ただ、送り手と受け手のありようは、メディアや産業によっても変わる。したがって、ネット時代を全面に出さない方がよいかもしれないと考えている。

〇 論文の可能性として、最初のタイトルがメディア経験になっている。最初のメディア経験というのは、シンプルな意味でのオーディエンスとしてのメディア経験を聞いてきたのだが、実はこの人たちが、送り出している側という指摘がある。インターネットの場合、Sさんについては、音楽は人生と語っていて、音楽好きで、音楽をやり始めて、CD制作をしただけという話ですこし単純な気がする。
いずれにしても、今回の対象者はメディア経験の中のある時に、受け手から、送り手に代わるような経験をしている。それは、インターネットなどとかかわっており、従来のファン研究の質の変化とつながっている。本報告は全体の構成を批判的スタンスから始めているが、“経験から見たら何が見えてくるのか”を強調するという帰納的な書き方をしていく方が良い。データを提示するための準備をして、まとめの段階で研究の整理をした方がよい。ここをやるということは言った方がよい。
→指摘の通りで、報告内容については、再構成して、もう少しデータから何が言えるのかという部分を中心にして、最後に既存の研究との差異を主張するという位置付けにしたい。

○ Vさんの語りが面白い、ラノベを読んでいた。すごい偶然みたいな語り方をしている。自分の意志があったわけではない。受け手としてファンであって、その人が偶然書いたみたいな流れが楽しい。このナラティブ・アイデンティティの提示の仕方って何なの・何を生かしてプロになったのか。それとの連続性は何なのか。
→Vさんのデータについては、まだ分析途中な部分もあるので、より詳細に記述することにしたい。

○ Sさんは不要という意見もあるが、日本の作曲家に気付いたのは面白かった。日本の作曲家が取り上げられていなかったことに気付いて、送り手にシフトした。ここで何か自分が出来そうという部分を見つけて変わったというのが面白い。自分が能動的にアプローチするきっかけになっている。もうすこしライフの中での広がりが見たい。
→Sさんについてもデータ分析が中途半端なので、データ内容を再検討したい。

○ 疑問点として、送り手という言葉は、送り手といえる人、その人の基準がわからない。難しかった。流れから行くと、アマチュアからプロになるというのがわかりやすい。HPとか店とかそういうものが必要か?今の事例には、何かを肯定的に好きなので、送り手になったという流れだが、好きではないので、悲観的におもってそういうパターンもある。
→この点については、今回の事例がファンに近い人たちであるという限界もある。報告ではその点も提示した上で、今後の課題として提示することで対応したい。

○ マスコミという立場から考えると、今のメディアは双方向性があり、自分がファンになった先生と上になっていくという考えがあった。オーディエンスと送り手というのは相互作用が虚実を問わず、何をやって送り手をなっていくのか、とらえていくと面白いのではないか。全体的として、なにか統計が必要と考える。
→統計的データについては、探してみることにする。

○ 研究テーマは乳癌の女性だったのだが、この場では、やってきた。途中から来たのだが、気になったのは、Sさんの語りで、日本人としてのナラティブとなっていたが、父親がいない自分とか、病弱な自分、日本人という枠組みは抽象的なので。
3つの話があって、それぞれ送り手とオーディエンスとあるのだが、3つの語りのグラデーションはどう比較、位置付けているのか。
→正直なところ、3つの事例の位置づけについては、まだあいまいなところがあるので、研究全体の中でどのように位置づけるのか再検討したい。

○ 気づいたこととして、Vさんについて、Vさんの抜き出したTSは病者の語りっぽく見られる。最後に、病院にいって、やはり、基本的に病のある人がインターネットの登場によって、送り手になるという側面がこの人の経験にあるのではないか。思った。
Sさんについては、自分のインタビューを思い出すと、4人が男性だったが、3人が定年退職直前にわかった人がいて、Sさんも食品メーカーに勤めていて、その希望退職に応じるなど、ご自分のファンだったということとの関係があるのではないか。年代的には、仕事を頑張ってきた世代ではないかと思われるので、その人が仕事を辞めるとかやめないというかその辺がもしかしたら、きっかけになったのではないか。
→たしかに、Sさんについては、世代的にはいわゆる団塊の世代とよばれる世代であり、中高年のリストラなどに直面した人々である。このことが彼の転機に関わっている可能性はある。

○ 送り手やオーディエンスという言葉に多様性があって、自明とされている構えが浮かび上がってきたような気がして、前提というのが大事だと思った。LSの提示により、議論全体が腑に落ちた。
→先ほどの質問への回答と同じだが、やはりトランスクリプトの提示を報告の中心に来るように全体の構成を考え直してみたい。

3.まとめ

ご指摘いただいた点をまとめると、前半部分の先行研究に対する説明と、分析事例がつながらないという点が特に問題であるように感じられた。したがって、学会報告に向けては、全体の構成を変更し、先行研究よりも分析事例に関する丁寧な提示を行ったうえで、結論として先行研究の限界や今後の研究可能性を提示するような形に修正していきたい。

(記録報告:池上 賢)