例会レポート(12月)  ライフストーリー研究会

合評会
『ライフストーリーに何ができるか 対話的構築主義の批判的継承』

『ライフストーリーに何ができるか 対話的構築主義の批判的継承』桜井厚・石川良子編、新曜社、2015
日時:2015年12月28日 17:00~20:00
場所:立教大学(参加者16名)

今回は、木村豊さん、湯川やよいさんのお二人にお願いして、本の批評してもらいました。
まず、それぞれの批評のあとで評者に若干の質問をし、批評の内容を中心に参加者とともに討議をおこないました。
以下では、参加者とともに行われた討議内容のいくつかをメモ風にとりあげています。

【討論内容】

●調査者のポジショニング
参加者A:桜井さんはこれまでの実証主義/解釈的客観主義を前提にしたディスコミュニケーションを問題にしたのに対し、『ライフストーリーに何ができるか?』の著者たちは、調査協力者と調査者とのディスコミュニケーションを問題にしているように見えるがどうか。
桜井:かつては方法論的問題だったが、今のライフストーリー研究が一定程度認められてきた現状がある。
また調査協力者と調査者の関係については「構え」の概念を含め、常に分析に調査者を含む反省的記述を求められることは変わらない。

参加者A:(「ひきこもり」テーマの論文について)「ひきこもり」は当時のどのくらいのリアリティがあったのか?
参加者B:ちょっと早かったのかも。用語は既にあって、専門家の定義は あったが当事者の経験については、あまり研究が進んでいない時期。いろんな経験をしているのに、当事者が当時の「ひきこもり」概念で語ることに関心があっ た。

参加者A:インタビューを受ける側のインタビューイメージに規定されていくことのおもしろさがあるけど、インタビューの構えは調査協力者と調査者の「構え」は一致してるのか?
参加者C:調査協力者のほとんどは同じように構えで、困ったことを聞きたがったが、今回の(調査協力者の)Xさんは困っていないという語り方がおもしろかった。

●メソドロジー
桜井:木村さんの批評の問いにあるのは、社会調査法としてライフストーリー研究法は自立しているのか。
参加者D:*4どのレベルか、理念からの標準化なのかテクニカル的 な方法としてか。
桜井:調査者を分析の枠組みに組み込むところが従来とちがう。調査者がどういうふうに変化していくのかも記述の対象になる。
参加者A:インタビューをする側が自分を記述することを意識したときに、インタビューの仕方がかわってくるのか。
参加者B:対話的構築主義を意識するとインタビューができなくなる(笑)。
桜井:これまで中野卓さんの作品についても職人芸として片づけられたところがあったけれど、その芸を透明化、標準化していく作業と絡んでいる。おもしろかったのは、授業で本書を読んだ大学院生が指摘した内容が、執筆者の個性そのものを表していたこと。
参加者B:書き手の個性なしではライフストーリー研究にならないような気もする。
参加者D:桜井論の原点において、「調査者を俎上に載せる」という企図と「手続きの透明化」の2点が、重要であることは理解する。ただ、それらの意図を具体化する際、ストーリー領域と物語領域に分けるなど、それらの提案はどこまで固定化しうるものなのか。「批判的継承者」の立ち位置からは、もう少しそれ自体を相対化するところがあってよかったのではないか。具体的技法として桜井論の主張されているところ、たとえばトランスクリプトの中で「はい」「いいえ」といった短いやりとりよりもチャンクの大きい箇所に意味があるという場合、それをその通りで形式的に受け取るのではなく、むしろそれ自体を検討すべき、相対化すべきではないか。継承者の人たちも必ずしも桜井論の通りに実践していないように見えるが、どのあたりを踏襲していないのかを明確にすべきではないか。
また、「調査者を俎上にあげる」ための具体的やり方は、必ずしもインタビュー場面の「相互行為」記述だけではないはず。「調査者を俎上にあげる」際の独自の目的や力点が対話的構築主義にはあるように思える。それが何なのかを明示しなければ、EM(エスノメソドロジー)などからの批判に応答したことにはならないのではないか。

●当事者研究
参加者F:当事者研究として、対話的構築主義にとっては、同じ経験をしている当事者にしかわからないのか。
参加者C:当事者でもわからないことはわからないことがあるので、ぼくは狭い意味(同じ当事者同士)での当事者研究ではなく、当事者が研究しているということ。木村さんの批評で指摘する調査したものにしかわからない印象については、わかるようにする研究が必要。

●批判的研究
参加者E:対話的構築主義のレゾンデートルはなにか。なんで他者の話を聞こうとするのか、人の人生の話をわざわざ聞くのは、なぜ?にこだわっていて、なんのためというところ、なにを継承していくのかというところで、ライフということにカギがあるのでは?
参加者D:構築主義を厳格に志向するプロジェクトは、専門研究としてのリサーチアビリティに重点を置いたけれど、対話的構築主義のライフストーリー研究は、あくまで批判的研究であるというところに力点があるのではないか。
つまり、一部の批判的な研究には、解釈が定型化しやすい(予定調和に陥りやすい)という課題があった。対話的構築主義は、定型化による予定調和という陥穽を自己点検しつつ解釈を細やかにしていこうという志向として理解している。
マイノリティ研究とかならず結びつくとは必ずしも思わないけれど、批判的なプロジェクトではあると思う。調査者を俎上にあげるけれど、それは「批判的なプロジェクトである」ことに結びつくわけで、そのための方法論であることを具体的に明確にしてほしかった。
本書の執筆者に共通しているのは、批判的であることを方法論の軸にしているところがある。そのためのバリエーション、分析軸の明確化が必要。

(文責:桜井厚)