目次
●占領下の「基地の街」で暮らす
―本土復帰前の沖縄・コザで保育所をたちあげた女性のライフヒストリー―
●子どもの不登校を経験する父親たちの問題認識とその特殊性について――不登校の親の会に参加する父親へのインタビューを事例として
●中途盲ろう者のコミュニケーションにおける困難の構造と「元気」を取り戻す過程
●「女らしい文化」を生きる―髪を喪失した女性たちのライフストーリー―
●「『被爆者になる』ということ――継承をめぐる記憶と語り
●ウーマンリブとライフストーリー
●マンガ家のライフストーリー分析の可能性(仮)
占領下の「基地の街」で暮らす
―本土復帰前の沖縄・コザで保育所をたちあげた女性のライフヒストリー―
岩崎美智子(2015年3月27日)
【質疑応答】
1.研究(報告)の目的が明確ではない
①研究の目的は何か。文書ではわからないことをオーラルヒストリーによって明らかにしたいのか。
もしそうだとすれば、Aさんの語りからわかったことは何か。
どこが、オリジナリティだと言えるのか。
⇒1960年前後のコザの街とそこで暮らす人びとの生活について、とりわけ「ベビーセンター」という託児の場を介して、Aさんの語りによって明らかにするのが目的であった。
「ベビーセンター」は、公の記録には掲載されていない託児施設であるため、当時を知るAさんの語りから明らかにしたつもりである。
また、街の状況についても、文献や資料ではわかり得ないそこで生活していた人の実感を伝えようとした。
②報告者が魅かれたところはどこか。街としてのコザか、人としてのAさんの人生か。
⇒当初のインタビューでは、保育者の人間形成的な部分に関心があったため、Aさんの生活史を中心に聞いていたが、その後、当時のコザという街とベビーセンターに関心を持つようになった。
今回の報告は、Aさんの人生を描くというよりも、コザという街とベビーセンターを論じたつもりだった。
占領下にあった1960年代の「基地の街」コザの状況と、そこで暮らす人びとの姿を描きたかったが、論点が絞れていなかったかもしれない。
③Aさんを特徴づけるものは、「政治家」なのか、「保育者」なのか。
報告者が明らかにしたいのは、人との出会いか、沖縄の背景か。女性の福祉、子どもの福祉、沖縄とが全部均等に取り上げられている。どこに焦点をあてるのか。
⇒Aさんの「保育者」としての側面に焦点をあてたというものの、彼女の思想や実践には「政治(活動)家」としての側面が出ていると思う。その点をきちんと論じるべきであった。
また、内容が焦点化できていないことは、本報告の弱点である。論文化の際には、焦点を明確にしたい。
④ライフストーリーとライフヒストリーについて。歴史的事実を重視したので「ライフヒストリー」としたのであれば、Aさんだからできたことを強調したほうがよいのではないか。
「おわりに」で書かれていることだけでは不充分ではないか。
⇒今回の報告では、ライフヒストリーとしての形にもなっていない。論点が絞れていないことから、語りの取り上げ方や分析も不充分なものになった。
⑤沖縄のコザという街のなかで、当時の託児の状況はどうだったか。彼女がみてきた状況を明らかにすべきである。
問題意識が必要だ。コザという地域で「ベビーセンター」が成立したプロセスと、「コザ」を描かなければならない。
⇒1960年前後のコザの状況を論じるにあたって、その前提として、本土と沖縄の政治・社会状況を確認する必要があると考えていた。
しかし、長々と前提を書き連ねるのではなく、当時のコザの姿と、託児の状況、ベビーセンターを必要とする社会的背景を論じるべきだと理解した。
2.語りの相対化と分析について
①「とんでもない状況」や「すごいギャップ」など、客観的な出来事というよりは、感情的な語りの部分がある。
②Aさんが報告者に問いかけている箇所がいくつかある。
③レジュメを読んだ限りでは、報告者の姿が見えてこない。
①、②、③に対して⇒Aさんの主観を、報告者がそのまま受けて記述してしまっている。語り手と受け手の対話からの分析や、研究者の視点からの考察が充分できていないという反省はある。
④彼女(Aさん)の視点を相対化できていない。書き手がどこをおもしろいと感じたのかを伝えなければならない。
⇒語りをどう解釈するかで迷った部分がいくつかある。今後よく考えて分析をするつもりである。
3.Aさんをどう規定するのか
①Aさんがベビーセンターに踏み込んでいったのは、やむにやまれぬことがあったからであって、普通の親ができることではない。やはり「政治家」という側面を抜きにして議論はできないのではないか。
②託児所の立ち上げの際、看護婦や親戚の子など労働力として、活動した仲間の支えがあったし、学校の先生たちも協力的だったという。政治活動とのつながりがあったからこそである。
① ②に対して⇒1.の③の回答によって代えたい。
4.解釈の根拠をめぐって
①地域社会や保育所の関係において差別がなかったと書かれているが、どこからそのようなことが言えるのか。
⇒保護者が子どもたちを差別しなかったというAさんの語りと、Aさんご自身の経験から判断したが、根拠が明確には書かれていない。
相互扶助の関係やコザの地域性などを考察し、論じる必要性があると思う。
②Aさんは、ベビーセンターに衝撃を受けたというが、他の人の反応はどうだったのか。
⇒他の人の意見は聞いていない。しかし、予想される点としては、Aさんはベビーセンターに踏み込んで内部を見たため驚いたが、他の人たち(おもに、母親)は玄関での子どもの受け渡ししかしていないので、実態を知らない(そのため、驚くということはない)のではないか。
また、ある程度内部の様子を予想できたとしても、子どもを預かってくれる場所は限られているので、劣悪な環境に目をつぶった可能性はある。
【その他の質問・コメント・アドバイス】
1)「黒人」という言葉は、差別語ではないのではないか。
⇒当時はこの言葉が使われたということを説明し、そのまま「黒人」と記す。
2)「もあい」の漢字は、「模合」という書き方は一般的か。
⇒文献を確認したが、「模合」という漢字が使われていた。
3)おばあちゃんが、柱に子どもを縄でゆわえていたのは、そんなに驚くべきことか。普通ではないか。
⇒農村など多忙な人びとの間では珍しくはなかったと思われる。語りをそのまま引用、紹介してしまったが、文献・資料等で確認したい。
4)当時は、「幼稚園」はなかったのか。公民館はどのように使われていたのか。
⇒幼稚園がないわけではないが、Aさんが考えるような幼稚園とは違っていた。当時の公民館やその使用方法については調べていない。
5)オルガンやピアノは、それほど幼稚園で一般的なのか。太鼓が使われていたことを驚いているが、それは驚くようなことだろうか。
⇒東京などの保育・幼児教育の場では、1960年代前半には、オルガンはよく使われていた。楽器としては、オルガンやピアノの使用が一般的である。しかし、太鼓が使われたことについて、珍しいことなのかどうか確認していない。
6)Aさんがはじめてコザで保育所を立ち上げたのか。
⇒コザ市では、1954年から個人営業の保育所が存在した。
7)「黒人街」と「白人街」の場所を文章で説明しているが、読者にはわかりにくい。略図でよいので、地図で示したほうがよいのではないか。
⇒ご指摘のとおりである。コザ中心部の地図を載せたいと思う。
【報告をふりかえって】
皆様から、たくさんの質問、意見、感想、助言をいただき、とても勉強になりました。わたしが自信の持てないところや不安な点を、ずばり的確にご指摘いただいたことによって、今後の課題が見えてきました。あらためてAさんの語りを読み直し、再度対話を試み、「ライフストーリー」という方法について考えたいと思います。ありがとうございました。
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子どもの不登校を経験する父親たちの問題認識とその特殊性について――不登校の親の会に参加する父親へのインタビューを事例として
加藤敦也(2014年11月26日)
報告
本報告は関東地方にある子どもの不登校に関する父親の悩みに焦点を当てた「親の会」(セルフヘルプ・グループ)に参加する父親2名へのインタビュー調査に基づき、父親2名の語りから、不登校の問題経験に焦点を当て、その認識枠組みの個別性・特殊性を考察するものである。
子どもの不登校については、日本社会では子どもの情緒の問題として捉えられる傾向の強さがうかがえる。
本報告ではまず、80年代の認識枠組みとして、教育行政・精神科医の専門家言説が「登校拒否」(不登校)の要因を「子どもの耐性のなさ」や親の養育態度といった、個人や家族に要因を求める言説があったことを紹介した。
他方でそれに対し、親の会である「登校拒否を考える会」を中心として、「個人・家族」に要因を求める言説が当事者や親への偏見を生んでおり、不登校の要因を学校体制の矛盾や学校の人権侵害に求める「学校・社会要因説」という対抗言説があることを示した。
しかし、「親の会」による要因説が登場する背景には、学校に行かなくなった子どもの情緒の問題を家族関係の中でどのように理解するかといった動機があったこと、そして子どもを理解するにあたって、子どもに対し受容的で共感的な理解を目指していたことを示した。
こうした理解は、子どもの不登校という文脈の中で浮かび上がる家族関係の規範の問題を含んでいた。
親の会の担い手の中心が母親であったという歴史も含め、受容的で共感的な理解を示しにくい父親という認識があったことを示した。
本報告では、上記のような不登校の認識枠組みをふまえながら、親の会に参加する父親2名の語りを分析していき、親の会に参加する動機の語りには確かに学校の対応に対する違和感を表明するものが含まれていることを確認した。
ただし、子どもの不登校の問題経験に関する語りを追っていくと、子どもの不登校を契機として、子どもに対する夫婦の認識の違い、子どもとの関係におけるトラブル、夫婦関係のトラブルなどの言及があり、「子どもの情緒」あるいは「夫婦関係」の問題といった、家族関係における父親の悩みが出てくる。このように、親の会に継続して参加している理由・動機という観点から、父親2名の語りを分析していくと、それぞれ子どもの父親への接触拒否、子どもとの関係をめぐる夫婦の問題などが語られ、子どもの不登校が父親個人の固有の経験として位置づけられてもいることを明らかにした。
その語りから明らかになる位置づけは、子どもの不登校の要因や家族規範の問題を固有の経験として認識する枠組みが示され、問題を理論として一般化できない複雑さを示すものであった。
質疑応答
事実確認について(・質問➡応答)
・語り手である父親2名の子どもは医療機関などに通っていたか?
➡応答:通っていた。なお、1名については仕事を途中で退職しているが、保護を受け、一人暮らしをしている。
・報告で示されたような父親の悩みを語りあうセルフヘルプ・グループ、あるいは親の会は関東地方でどのぐらいの数存在するのか。また、一般的なのか。
➡数は把握できていていない。今後調べようとも考えている。父親の会は存在するが、子どもに対して威厳を示すことを目的とした「父性」復権のような会もあり、どのような目的で父親の会が存在しているのか、も含めて、調べることを検討したい。
・(語りに出てくる)エンカウンター・グループとはどういったグループか?
➡(報告者は正確に答えられなかった。)セルフヘルプ・グループの様に悩みを相談する場所とは違って、自分自身(の心理的な問題)を発見していく、カウンセリング的な場所である。なお、エンカウンター・グループには非構成的なグループと構成的なグループに分かれる。
内容に関する疑問
・(事実確認に関連して)歴史的経緯の説明が80年代の認識枠組みだけになっているが、70年代の精神分析的な言説、それ以降現代の発達障害支援なども含めた、精神障害者支援という認識の変化などの経緯についてはどうか。また、そうした支援の対象であるという認識が広がっている中であえて親の会を取り上げる位置づけはどうなっているか。
➡経緯の説明は必要だと考えた。また、親の会については、90年代以降、スクールカウンセラーの配置にも見られるように、教育行政の支援が手厚くなっており、参加が低調であるという現状を説明したいとも考えた。(位置づけについては、うまく説明できませんでした)。
・(加藤が答えた部分について)歴史の経緯を書き足すというよりは、ライフストーリーから歴史的経緯を浮かび上がらせる書き方ができるのではないか。ライフストーリーから、「男たちの論理」の中に「自分の経験の変化」を読み解き、語り手独自の経験として「父親の語り」を位置付ける。例えば、語り手がカウンセリングに興味を持ち、資格を取った背景などを説明していく。また、妻が常識規範に則っているということで出てきている関係性の問題を、Vさんの語りから詳述すると、より認識の変化がわかるようになる。
・不登校の原因は一つしかない(個人・家族要因説対学校・社会要因説)、という認識枠組みと、不登校にはいろいろな原因が複合的に存在する、という認識枠組みは、先行研究ではどのように扱われているか。例えば、学級崩壊に関する分析も、複合要因をあげるものもあり、要因の複合性を検討することには意義があるのではないか。また、現実の父親の悩みは多様である、というところにライフストーリーの意義はあるのではないか
➡(報告者自身の気づきとして)原因は一つしかない、という説明図式を対立的に描くことにより、今回の報告のように80年代の認識枠組みに回帰する説明の仕方と受け止められないよう、インタビューの記述を詳細にしたい。
・報告タイトル、問題関心(はじめに)、含め、母親と異なる父親特有の悩みがある、という書き方をしているのに、まとめに至るまでその悩みが読めない。また、母親とは違った父親の悩みには特徴があるのか。
➡報告者は文章表現に問題があるという自覚がある。それは構成の問題でもあり、個人の語りに焦点を当てること、をより明確にできるように示していきたい。また、母親とは違った父親の悩みの特徴については、筆者自身の先行研究で「子どもに共感を示しにくく」、それゆえ「こどもと関係が築きにくい」父親像として示した。ただし、今回の報告におけるVさんのように、子どもに対して「共感的な理解」を示す父親が悩みを抱えるということもあり、今後の課題としてその特殊性をより明瞭に示していきたい。
・父親中心のインタビューであるが、妻にインタビューを聞けば、それぞれの立場性の違いがより明瞭になるのではないだろうか。
・子どもの不登校について、世間体・体裁を気にするのは男性も女性も関係がないのではないか、書き方の問題として工夫が必要ではないか
➡先行研究の示し方、文章表現など含め、筆者自身にバイアスがあるかもしれない。特に文章表現については、筆者の価値規範や、過度な一般化がみられる。より語りの文脈に即した分析であることがわかる文章表現に修正していきたい。
・「共依存」をどのように理解するか、Vさんの語りは「共依存」の事例として適切ではないのではないか。
・Zさんの妻は子どもとコミュニケーションを取れている、という書き方だが、それはどの程度のことを指しているのか。ごく簡単な日常会話もその範疇に入るのか。
➡Vさんが「共依存」という語彙で家族関係を語ることについては、その経緯を詳しく詳述したい(←この応答はアドバイスを筆者なりに解釈し、参考にしている)。また、Zさんの妻と子どものコミュニケーションは、子どもが吃音であり、父親に対して心を閉ざし、部屋にこもることが多いという文脈から判断するに、些細なものでも意味を持っている。この辺りの事情も書き加えることができればと思う。
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中途盲ろう者のコミュニケーションにおける困難の構造と「元気」を取り戻す過程
荻原まき(2014年10月3日)
報告内容
本研究の目的は、中途盲ろう者のライフストーリーをもとに、盲ろうゆえのコミュニケション上の困難の構造を記述し、コミュニケーションの困難が「元気がない」状態と結びつくのかどうか、結びつくとすればそこにどのような構造があるのかを明らかにし、「元気を取り戻す」ために何が必要かを導き出すことである。
3名の盲ろう者A、B、Cさんにインタビューを行い、その3名のライフストーリーについて、福島智氏と筆者との語り合い、および別の3名の盲ろう者D、E、Fさんと筆者との語り合いを通して共同解釈を行った。
本報告では、構想を提示した後、A、B、Cさんのライフストーリーから語りの抜粋を紹介した。
質疑応答
主に共同解釈の方法について、および筆者が報告タイトルで用いた「元気」という語の意味について質問・意見が集中した。
以下は抜粋である。
*質問に対して、「⇒」で示すのが報告者の回答、「⇒⇒」で示すのは参加者からの助言や補足。
1 「共同解釈」という方法について
・解釈するのはA,B,Cさんのライフストーリーなのか。共同解釈をあえて行う意義は何か?
⇒もともとはA,B,Cさんの解釈を行うために行っており、共通の経験をもつ他の当事者の視点から解釈に加わるものを見たいと考えて共同解釈を行っている。
・A‐Dさん、B‐Eさん、C‐Eさんを組み合わせた理由は何か?違う組み合わせでなくあえてそうした理由は何か?
⇒⇒共同解釈の協力者を選んだ理由として、A,B,Cさんに通じる共通の解釈基盤、ライフストーリー的背景があったのであればそれを書くという手がある。
⇒⇒筆者が組み合わせを設定したものの、想定していなかった当事者同士の焦点付けが出てくれば面白いのでは。
・中途盲ろう者といっても発症年齢などによってもまちまちだと思うが、共通性よりも違いが見えてくると面白いのでは。
・ライフストーリーの共同解釈というのはこれまでにもあるが、多くの場合はライフストーリーを研究者、専門家が共同で解釈していって客観的な解釈を生み出す、という形で使われてきた。しかし今回の試みは、当事者が解釈を共同で筆者と行う。筆者とのやりとりのなかで、当事者であるD,E,Fさんが入ったことで、解釈が進歩した、あるいは食い違いがあったけれど進展した、という点があるか?
⇒DさんはAさんと聞こえ方が異なることもあって、筆者ならこう解釈するがDさんはこう解釈していた、ということはある。
⇒⇒それはAさんのライフストーリーを解釈するのに役立ったのか、それとも盲ろう者の世界を筆者が解釈するのに役立ったのかというと、後者が近い。そうなると、共同解釈は、もう1つのライフストーリーの分析データになっていくことになる。この二重の構図をどう整理するか。
・当事者を共同解釈者に入れることの方法論的位置づけを述べる必要がある。それは逆に、分析のところで、共同解釈者がいることでこういうのが見える、とわかれば、方法論を膨らませることができる。そのためには、当事者としての共同解釈というプロセスの面白さをしっかり伝えなければならない。
・Aさん特有の盲ろうのありかた、それを解釈するDさんがいるとか、きわめて個性のある盲ろうという世界を描き出せば、盲ろう者の世界はひとくくりにできないという多様性を示すことができるのでは。さらに当事者との共同解釈というプロセスでどんなふうにずれてA、B、Cさんを解釈していくのかという点をクリアにすれば方法論として二重に面白くなる。
2 タイトルで用いる「元気」という語について
・タイトルにある「中途盲ろう者の困難の構造」は今回の報告内容で触れていると思うが、もう1つの「『元気』を取り戻す過程」というのはどうなのか?
⇒「『元気』を取り戻す過程」の話とつながると考えているが、分析してそこにつながらなければそのつながらないことを書かなければならないし、つながるのであればその構造を書きたいと考えている。現時点では、世界とのつながり、他者とのつながりを得られたという実感がわくことがきっかけになるのではないかと思っている。コミュニケーションの定位ができなければつながりを実感しがたい。コミュニケーションの方法を身に着けるとか、通訳という方法を知るというだけではなく、その人に関心をもつ、親身になる人がいなければつながりは得られない。
・タイトルの「元気」という語はインタビューでの語りからとったものか?
⇒語りから出てきたのではなく、筆者があてはめた語である。
⇒⇒日常的な語を「」をつけて使うというのは特有の意味がある。抽象的な「生きる力」というような言葉ではなく日常的な「元気」という語なので、論文で用いるのであれば説明することを求められる。語りの中から「こういう状態を元気という」ということを述べるとよい。
・その人にとっての元気とは何か、ということを知りたいのであれば、「取り戻す」は余計なのではないか?
・研究の目的の書き方が内容と異なるのではないか。目的は、中途盲ろう者が往々にして陥る「元気がない」状態が、どのように元気を取り戻すものなのか、という過程を明らかにすることにあって、その中で中心的に働いているのはコミュニケーションの困難ではないかという点を明らかにし、回復する過程を明らかにする、ということではないか。つまり、中途盲ろう者は往々にして元気がない状態に陥るという前提があるのかどうか。ないのであれば書き方を変える必要がある。
・「元気」に言及しないでコミュニケーションの困難を明らかにするという書き方もあるのではないか?
3 その他
・「コミュニケーションの定位」と「他者とのつながり」の関係はどう考えるか。コミュニケーションの定位ができるようになるのは、自分でできるようになるのか。他者とのつながりがあってできるようになる場合もあるのではないか。
報告者所感:
当事者との共同解釈という方法を模索する中で、具体的助言および激励をいただいたことは非常にありがたかった。
今後、D、E、Fさんの語りを、解釈のずれに着目しつつあらためて読み込み、そこで得た新たな解釈から方法論を膨らませるという試みを行いたい。
また、目的を明確化すること、用語の用い方やその定義を再考することを課題として認識した。コミュニケーションの定位という概念についてさまざまな意見をいただけたことも大変勉強になった。
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「女らしい文化」を生きる―髪を喪失した女性たちのライフストーリー―
吉村さやか(7月25日)
質疑応答のまとめ
1.「円形脱毛症」を焦点化する理由とは?それを焦点化する「良さ」とは?投薬その他による脱毛との違いをどう捉えるか?
→ご指摘頂いた通り、円脱と投薬による副作用の脱毛では、経験の異なる部分が多いにあるのだろうと思います。
ご質問では、薬物の副作用によってご自身も脱毛経験のある質問者さん(女性)が、報告内で提示したインタビューデータとご自身の経験が「まったく異なる」と感じられた、というお話も大変興味深かったです。
円形脱毛症に特化した理由としては、やはり私自身の当事者性に依るところが大きいのですが、頂いたご指摘をふまえて、円形脱毛症の特異性と申しますか、それを焦点化した意義のようなものを、今後見出すことができるよう、努めさせて頂きます。
2.先行研究をどう位置付けるか?報告内容のまとめ方について。
→今回の報告内容は、2014年9月に開催予定のJOHA(日本オーラルヒストリー学会)での大会報告という位置づけで行った「つもり」だったのですが、どうにも念頭にある博論の構想と混同してしまい、構成に整合性がありませんでした。
この点に関して、とりわけ先行研究の位置づけ(男性の「ハゲ」に関する研究 cf.須長1999; 戸樫2001)を明確に提示する必要があること、ならびに、学会発表に適したまとめ方として、①医学心理学研究を仮想敵に置き、彼女たちの語りを通してウィッグ着用以後の問題経験を明らかにする、②ウィッグ着用以後の問題経験を抱えながらも、親密な他者たちとの関わりを通してそれに対処し、しなやかに生きる女性たちのライフストーリーを提示する、という2つの方法があるのでは?というご指摘を頂きました。
前者のご指摘につきましては、先行研究の知見をもう一度洗い直し、後者につきましては、②のまとめ方に準拠するよう、今後努めさせて頂く所存でございます。
3.「女らしさ」をどう捉えるか。「女らしい文化」にすべてを収斂させてしまうのではなく、髪を喪失したそれぞれの女性の固有の問題経験を精緻に取り出していくことのほうが、説得的で面白いのでは?
→ご指摘頂いた通り、本報告では、どうも「女らしい/女らしさ」に執拗にこだわってしまった部分が多いにあります。
ウィッグを着用することによって生じる問題が、「装い」や「身だしなみ」など、とりわけ女性に期待された「役割」や文化的行動規範によって、当人自身によっても「問題として認識されない/されにくい」
→「語らない/語られない」ことの構造的背景をどうにか焦点化しようとしたあまり、ライフストーリー法に依拠しながらも、固有の経験を捨象してしまうという大失態でした。
今後は、それぞれの女性の固有の「生life」を丹念に記述するよう尽力致します。
4.彼女たちの生きづらさは「曖昧」か?
→3.の質疑への応答内、下線部にて不十分ながら回答とさせて頂きます。
5.対象者の年齢/世代の違いは?
→具体的には、20代、40代のインタビュイーがそれぞれに語る「かわいい」の捉え方が、年齢や世代によって異なるのではないか、というご指摘でした。
そのような視点を加味した「解釈」を行うことができていなかったのはご指摘頂いた通りです。
実際、インタビューを行いながら、彼女たちの生きてきた時代背景の違いを如実に感じながらも、年齢差や世代差という視点(いわゆるコーホート的視点)からそれらを解釈するに至っておりませんでした。
ご指摘をふまえて、今後の重要な検討課題とさせて頂きます。
6.調査プロセスの記述は?
→本報告ではまったく触れていなかった調査プロセスについて記述する必要性をご指摘頂きました。
本調査対象者は、脱毛症当事者会(円形脱毛症を考える会)の会報誌に研究の目的を明示したうえでインタビュー協力者を募る文書を掲載してもらったところ、返信のあった女性たちでした。
調査は2012年10月から行っておりますが、2014年7月現在まで、断続的ながらもメールや手紙にて、「私の話が参考になるかわからないがインタビューに協力したい」、「会ってお話したい」などの連絡を頂戴しておりました。
このような調査プロセスに関する記述に加え、調査者であり当事者である「聞き手」についての記述もできておりませんでした。
7.全体をふりかえって
例会報告全体が反省文のような形になってしまいましたが、今回の報告は、どうみても「結論ありき」の内容で、先走ってしまい、当該女性たちの語りを十分に分析することを通して解釈したとは到底言えない内容でした。
報告全体を通して、語りの扱いが「雑」で、社会学の理論用語に傾倒して解釈しがちであったのは、髪がなく、スキンヘッドで、ウィッグを着用して生きる「私」をまだ十分に相対化しきれていない、そのような現実をまだどうにも直視したくないという気持ちがくすぶっている表れなのかも…というのは全くの言い訳ですが、今回の例会を通して桜井先生をはじめ皆様から頂戴したご意見・ご指摘をよくよく参照させて頂き、研鑽に努めさせて頂く所存でございます。
貴重なご指摘をありがとうございました。(記録 吉村さやか)
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「『被爆者になる』ということ――継承をめぐる記憶と語り」
高山 真(6月27日)
質疑応答のまとめ
1.継承をどのように捉えているか?
直接的な個々の被爆体験を語り継ぐのではなく、凄惨な被爆を体験した人びとのリアリスティックな記憶に触れるときに生じる〈心の揺れ〉を、日常生活でいだく〈語りえないもの〉と重ね合わせることが記憶の継承につながると考えます。
YさんとMさんは、「自分自身の体験はたいしたものではない」と語り、戦後を生きるなかで「被爆者になった」と語ります。
こうした語りは、体験者ではない〈わたし〉が、日常の体験と、彼らの体験を重ね合わせ、想像し、理解する手がかりになると考えます。
2.「体験していないものにはわからない」という語りをどう乗り越えるか?
「13歳の被爆体験」を強調するTさんとのインタビューでは、体験者と非体験者の「溝」をつよく感じました。
体験のない〈わたし〉が、こうした語りをどのように受けとめればよいのか、どのように理解すればよいかは、戦争体験の聞き取りがしばしば直面する問題と思います。
こうした悩みをかかえながら、博論では3章でTさんの語りを検討しましたが、その際、複製技術に関する理論と概念を前景化させ、語りを分析しました。
Tさんは2011年に他界されましたが、すこし時間をかけて、もういちど、記録として残されたTさんの語りと向き合うことで、彼のライフストーリーを別の視点から解釈することができないかと考えています。
3.歴史学的フィールドワークを強調する意図はなにか?
これまでの調査を「歴史学的フィールドワーク」と位置づける理由は、ふたつあります。
ひとつは、このフィールドワークが「語りえないもの」の探求であるため、語りをとりまく「風景」とともに、語りを描きだすことが必要となることです。
もうひとつは、調査のプロセスで生起した「継承」という問題意識との関係です。この問題については、複数の方から質問をいただき、議論の焦点となりました。
今回の報告では、時間の制約から「風景」の描写を十分に提示できませんでしたが、機会をあらためて、フィールドワークのエピソードや、写真などもまじえ、長崎の記憶をとりまく風景の問題について、お話しできればと思います。
4.他者からのまなざしにより、「被爆者になる」ということ?
博論では、フールドワークの経験を記述することで「被爆者になる」という考え方を理解しましたが、これからは、他者との関係のなかで「被爆者になる」という考え方を理解していきたいと思います。
今後、長崎で、体験者、継承の実践に参加する市民、あるいは核兵器廃絶運動にたずさわる研究者を対象に、これまでの研究についてお話しする機会があります。
こうした機会を活用し、さまざまな立場からこの問題に関心を寄せる人びと「対話」をこころみ、これまでの研究について、上記の問題をふくめ再検討していきたいと思います。
5.全体をふりかえって
参加者のみなさまから、たくさんの率直な意見や感想、質問を投げかけていただき、これまでとは別の視点からフィールドワークをふりかえることができました。
あらためて対話することの大切さを感じると同時に、これから、この問題を、さらに多くの人たちと検討し、調査にご協力いただいた3名の語り手との対話を、より広い文脈のなかで、もういちど捉え直していきたいと考えます。(高山 真)
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ウーマンリブとライフストーリー
2014年5月23日(金)
報告内容
初めに研究タイトル「ウーマンリブとフェミニスト・メディア~米国誌『Ms.』 を中心として~」を提示し、主な研究対象と期間、メディア学での掲載記事の位置づけなどを説明した。
その上で、ウーマンリブのピークとされる1970年代に女性たちが問題提起し、社会へ改革を求めたDV(domestic violence:家庭内暴力以下、DVと表記)及びレイプについて、前者においては『Ms.』の1976年8月号の調査報道による記事とレノア・ウォーカー博士が1975年に着手した米国初の本格的研究結果などを理論化も含めて報告した。
いずれも調査に協力した女性たちのライフストーリーが不可欠であったと考える。
またレイプについても同様に女性たちが「語りがたきこと」を語ることにより、レイプがそれまでの恥ずべき女性の落ち度から告発すべき犯罪へとパラダイムがシフトしていった経緯を潮の流れが変化した契機となったニューベッドフォードのギャングレイプ事件(1983年)と起訴された実行犯が全員有罪となった判決(1984年)、また『Ms.』が実施した米国初の大規模なレイプに関する大学生の実態調査(1988年調査結果が刊行)により従来のレイプ神話が覆されたこと、1990年に自身のレイプ体験を実名で報道することに同意した女性の記事が全米の有力メディアで一面トップで報道され、大きな反響を得たことなどを事例として報告した。
以上の報告内容に対しては以下のようなコメントが寄せられた。(→以下は筆者による現段階での回答である。
● セカンドレイプについて
→ 当時の米国ではレイプを女性の落ち度とする風潮が強く、レイプ被害者の警察への届け出率が低い大きな要因となっていた。
仮に裁判に訴えたとしても公判で被害者の(レイプ)以前の性体験などを聞かれることは禁止されていなかったため裁判を諦めるケースが多かったという(注1)。
通常は目撃者がいないため立件も難しく、苦痛に満ちたと表現された裁判の質問や報道による原告の人権及びプライバシーの侵害などを総称してセカンドレイプという。
(注1)現在では被害者の以前の性体験を証拠として採用すること(裁判で聞くこと)は法律で禁止されている。これは被告には聞かないのに不当という声への対応である。
ニューベッドフォードで起きたギャングレイプ事件の被害者への本人とその家族が身の危険を感じるほどの重大な人権侵害は通常のセカンドレイプの範疇を超えていた。
具体的には裁判が行われる当日に裁判所の前での被害者へ抗議する集会・デモなどがあり、被害者及び検事たちへの脅迫、被害者の自宅へ物を投げ入れる、その他タブロイド紙(センセーショナルな読み物を掲載す る日刊紙)による報道などである。
この裁判では起訴された全員が有罪となり、ウーマンリブの画期的な勝利と高く評価されたが、被害者への人権侵害については目立った報道はなかった。
有罪判決が出た直後に被害者は家族とともに転居したが、その後もうつ状態と摂食障害に苦しんだこと、被害者の交通事故死(1988年)の検視の結果多量のアルコールが検出されたことを、一紙が報道しただけである。
刑期を終えて出所したある被告は被害者よりも自分の方がひどい目にあったと地元メディアに語っている(1991年)。
当日では詳しくは報告できなかったが、このギャングレイプ事件の報道をフェミニスト・メディアと一般紙、ポルトガル語の新聞、タブロイド紙と比較し、検事、ポルトガル語の新聞発行人、地元のレイプ被害者に対応する職員に取材して論文をまとめたが、現地での取材がなければ分からないことが多く、次のコメントへの回答と重なるが、『Ms.』についても現地(NY)での取材を行うことが大切と考えている。
● 『Ms.』 がどのような経緯で女性たちの声を取り上げるようになったのか。
→『Ms.』 のプレビュー・イシュー(先行版)には編集方針・目的などが掲載されていて、グロリア・スタイナムたちが提唱した「姉妹の絆」は人種・既婚・未婚、社会階層、国積などを超えたものを目指したが、実現できなかった。
アフリカ系のアンジェラ・デービスは創刊号からの参加していたものの、少数派であった。このあたりの事情も含めて早い機会に現地での取材を行う必要性を痛感したしだいである。
● レジュメ13頁の「アイデンティティーの確立無くして解決はない」のアイデンティティーについて。
→ ここでは質問者の指摘通りエリクソンのアイデンティティーのことである。
● ウォーカー博士と『Ms.』の記事との関係性について。
→ウォーカー博士と『Ms.』と直接交流があったという確認は取れなかったが、同時代に行なわれた研究及び記事であるため、研究・掲載記事について双方が知らなかったとは考えにくい。
それぞれの研究成果、記事などに関して米国の主要紙NYT(ニューヨーク・タイムズ)などの当時の記事、社説などを調べてみたいと考えている。
● 上記についてより実証的な検証方法についてのコメント。
→ 両者の動きについて(年)表を作成してはどうかという提案を頂いた。
当時のNYT、ワシントンポストなどの有力紙、『Ms.』以外のフェミニスト・メディア例えばリブのオピニオンリーダーだったエレン・グッドマンのコラムなどを調査することを考えている。(グッドマンにはウーマンリブについてボストン本社で取材することができたが、テーマは家族・家庭とウーマンリブについてであった)。
● 「大きな物語」と「小さな物語」の意味について。
→ ここでは物語論にまで踏み込むことはできないが、各領域でまた著者によりニュアンスの違いが見受けられることもある。しかし最近では新聞報道においても使用されるほど一般化した用語となった。本報告では前者を政策など、後者を個人に関するものというジャーナリズムで使用される意味で使用した。
● 家父長制について
→ 非常に重要な指摘であるが問題が大きいので直接の回答をすることを差し控えた。
● 報告に対してもっとメリハリをつけてというコメントと『Ms.』に絞った方がよい。
→ライフストーリーから獲得された評価の高いウォーカー博士の研究結果を中心に報告し、自身が聞いたライフストーリーではないことが主な要因と考えるが、研究は今後『Ms.』に絞って進めてゆく。
最後に「『語り』とジャーナリズム」に関しては、報告タイトルに挙げなかったこともあり、参加者全員の質疑応答の対象とはならなかったが、桜井先生から人類学者クリフォード・ギアーツが提唱した解釈人類学の「語り」とレジュメの「語り」との相違について貴重なご質問とコメントを頂いた。より明確にきちんと書き分けるべきであった。またレジュメ本文中の「ナラティブ・ターン」も同様にジャーナリズム上の意味を書くべきで、今後に生かしてゆきたいと考えている。(記録 報告者)
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マンガ家のライフストーリー分析の可能性(仮)
池上賢(2014年4月18日)
報告内容
初めに、筆者の問題意識を提示した。筆者はこれまでマンガを事例として、現代社会におけるメディアとアイデンティティについて、分析を行い人々がマンガに関する経験を語る中で、自らのアイデンティティを提示するということを明らかにした。
本報告は、新たな問題意識としてメディアの受け手ではなく、送り手に焦点化した分析を行うものである。
ここでは、①人々のアイデンティティのリソースとなるメディアにおける情報(特に物語)を送り手がどのように制作しているのか、②そのようなコンテンツの制作過程において、送り手は関与していると考えられる社会的・歴史的文脈(厳密に絞る必要性。)がどのようなものであるのかという問いに対する回答を得ることを目的とする。
本報告では、以下の先行研究を紹介した。第1に、美ノメディアの送り手研究である。
日本におけるメディアの送り手研究の主流は、放送・新聞などジャーナリズムの領域におけるマス・メディアの機能や、言論の自由などについて実践的に検証するものであった。
第2に、出口弘らなどによる経済学・経営学的視点に基づくコンテンツ産業に関する分析である。
ここでは、コンテンツ産業について「新たな産業構造の持つ意味や、その振興、制度的支援あるいは文化政策」などが研究の対象となる。
第3にマンガ論において、中野晴行などが展開したマンガ産業に関する論考がある。
ここでは、現在のマンガ市場の状況を踏まえて、今後に向けた施策などが提示された。
そのうえで、筆者はこれらの研究についてその重要性を認めつつも、冒頭で示した問いに答えることは出来ないと指摘した。
そのうえで、筆者はシャロン・キンセッラによるマンガ編集者とマンガ家を対象にしたエスノグラフィーを紹介した。
この研究では、1980年代以降マンガが文化として認められるようになったという環境下において、編集者が作品作りの主導権をとることが一般的になったと指摘されている。
Kinsellaによる調査からは、マンガ生産における社会的・歴史的文脈との実際の生産の実践のあり方について、語られるストーリーという概念を媒介にして明らかにできることが示されている。
以上を踏まえて、筆者は上述の問いに回答するための方法としてマンガ家のライフストーリーに着目するという手法を提案し、事例として現在はある大学において教鞭をとられているS氏のライフストーリーを紹介した。
S氏は1950年に生まれ、幼少期は母親に育てられた。
製紙工場が多くあったという家庭環境から絵を描くことには幼少期から親しんでいたという。
その後、氏は中学時代に石ノ森章太郎の『マンガ家入門』を講読しマンガ家になることを決意する。
また、その内容からマンガ家には体力が必要なことを知り、スポーツを行い体を鍛えていた。高校卒業後S氏はマンガ家のアシスタントとして働き始めるが、その後仕事がなくなってしまい、一時は編集プロダクションに勤めるなどしていた。
ただし、この頃の経験は後に実用マンガなどの制作にあたる際に役に立ったという。
その後、氏は再びマンガ家のアシスタントになり、あるマンガ家のプロダクションで働いた際には、テレビ化された作品のマンガも担当するほどになる。
なお、この時代の話として、絵の技術がマンガに求められなくなったことにふれていた。
その後、S氏は児童向けのマンガでヒットを出した後、子ども向けのマニュアル本や実用マンガなどを手掛けていくことになる。
なお、1983年ごろには、出版社でのマンガ賞を受賞した際に『一生面倒を見る』ということを言われ、逆に児童向けのマンガを離れることにしたという。
その後、氏は児童マンガから離れ、大人向けのマニュアルマンガや小説の執筆などを仕事としていく。
そして、複数の大学・専門学校から「マンガを教えてほしい」という依頼を受けたことをきっかけに、マンガについて教える機会が多くなってきたことなどから、大学・大学院に進学し、現在に至っている。
質疑応答
以上の報告内容に対しては以下のようなコメントが寄せられた。(→以下は、筆者による現段階での回答)
○ 社会的規範の包括する範囲について
・今回の報告では、社会的規範と言っているが、この範囲については、ジェンダーや世代などとった特定のミュニティという範囲を想定しているという説明は必要ではないか。
たとえば、マンガは普及してきた時代において、主要な読者である若年層にはポピュラーであったが、すでに働いていた世代の人々は批判的な態度をとっていたはず。そのようなある種のローカリティは見る必要がある。
→筆者自身は無意識な前提として日本社会全体という範囲を想定してしまっていた。今後は記述する対象がどのようなコミュニティなのか確認しながら分析を行いたい。
○ インタビュー分析の焦点について
・インタビューの中でさまざまな転機が示されているが、どこに絞るのか?
・上記の問題に関連して、副題にあるように、本研究の主題はメディア・アイデンティティ・送り手にあるのではないか。そこで、マンガというメディアと送り手に注目する。その際に、アイデンティティに注目して、そこでライフストーリーに探求する。そこに何が見えてくるのかという点を考えてはどうか。
→今回示した問題関心では、事前に送り手のアイデンティティという主題をやや軽視していたように思う。この点は重要な論点なので、改めて本研究の焦点の一つにしたい。
○ 本研究の意義について
・ライフストーリーという一人の生の全体性に接近するのは、そこに収まらないものを見るという意義がある。それによってどのような人間的な利得があるのか?
・マンガが発達してきた歴史的背景と、そもそも一つの歴史だけで良いのか?
・Sさんには実用漫画家のアイデンティティはあるのではないか?
・Sさんのライフストーリーは、一般的に表象されるマンガ家のものとは異なるオルタナティブなストーリーを提示しているのではないか。
・Sさんが作品に込めたメッセージや、それがどのように形成されたのかを見てはどうか。
→これらの指摘を踏まえると、本調査の意義のひとつとして、S氏のライフストーリーから、既定の枠におさまらないオルタナティブなストーリーを析出するという論点の可能性があるので、再度検討してみたいと思う。
○ 転機という概念について
・ストーリーを語るときに転機という概念があるが、ストーリーは一直線にならないので、転機とはある意味では、ある意味時代を見るための重要な視点で、時代の変わり目を表している可能性がある。ストーリーがどのような曲線を描いていて、今に至っているのかを、多様な視点から見るべき。
→筆者としては、ライフストーリーを見る上で、直線的で単一的なストーリーを無意識に前提においていたので、あらためて、インタビューデータを丁寧に見直していきたい