例会レポート(10月) ライフストーリー研究会

デスマーチの社会学――ソフトウェア開発現場はなぜ死の行進と化すのか

宮地弘子

<質疑応答まとめ>
▼事実確認

【Q1】「デスマーチ」で燃え尽きた人々は結局どうなるのか。燃え尽きた本人が退職を申し出たとき、企業は引き止めたりしないのか。

【A1】業界が勃興し急速に成長していた1990年代までは、莫大なストックオプションの行使益を得られたこともあり、ソフトウェア開発者たちが燃え尽き現場から去っていくことはさほど問題視されてこなかった。業界の成熟に伴い「太く短い」働き方が難しくなり、休職制度など雇用の継続を意図した企業施策が整備されつつある。しかし、燃え尽きたとしてもそれを表向きの理由として辞めていく開発者はほとんどおらず、また、本人の自由意思による選択だという限り、企業も特に引き止めることはしない。

▼分析に関して

【Q2】エンジニア〈コード〉について。これは、結論なのか前提なのか。また、企業文化なのか職業文化なのか。

【A2】エンジニア〈コード〉は、インタビューにおける聞き手自身の「構え」を自己言及的に反省することによって発見・抽出されるべき、ソフトウェア開発者にとっての自明の常識である。が、博士論文では自己言及的反省過程の記述が不十分であり、まるで分析の前提であるかのように見えてしまっている。また、質疑応答のなかで指摘があったように、語り手のライフストーリー/ライフヒストリーをさらに書き込んでいくことによって、X社の企業文化ではなく、特定の時代的状況を背景に形成されてきたある種の職業文化としてのエンジニア〈コード〉の性質が鮮明になるはずである。

【Q3】「デスマーチ」は企業による規範的統制の結果ではなく、現場の開発者たちの能動的・戦略的実践の結果だということだが、現場の人々が勝手に「デスマーチ」を作り出しているという理解でよいか。

【A3】まず、ソフトウェア開発という仕事が非常に不透明な迷宮であること、そして、開発者たちが決して誰かに強制されたわけではなく、各々の生活史に裏打ちされた固有の意味を見出してこの現場にいるということを押さえておきたい。そして、ソフトウェアづくりをめぐる自明の常識としてのエンジニア〈コード〉を見抜き用いることによって迷宮を迷わず歩き、みずからがこの現場にいる意味を追求・達成しようとするなかで、必然的に死の行進へと巻き込まれていく。「管理か自律か」という従来の労働社会学の二分法的命題を超えて、業界全体を覆う自明性の問題として「デスマーチ」を理解することが重要。

【Q4】エンジニア〈コード〉が、草創期のソフトウェア開発現場に特徴的な状況を鋭敏に見抜きふるまう人々の実践によって立ちあがってきた常識的知識であるならば、現場をとりまく状況の変化に応じて、〈コード〉もつくりかえられていくはず。そのあたりの変化の実情はどうなのか。

【A4】かつてのベンチャーが大企業となり、若者であった開発者たちも歳をとり、ネットワーク時代を迎えてテクノロジーがさらに不透明化するなか、個人の「抱え込み」によって不透明性を統御しソフトウェアをつくりあげることを自明とするエンジニア〈コード〉が、常識として通用し難くなりつつあることは確かである。しかし、ソフトウェア開発テクノロジーの性質上、確立された「体制」に甘んじることのないベンチャーが常に勃興し続けており、エンジニア〈コード〉は、かつてほど絶対的に自明な常識とはいえずとも、絶えることなく息を吹き返し続けている。

▼研究の実践的意義に関して

【Q5】「デスマーチ」を現場の人々の能動的・戦略的実践の結果と読み解いたところで、それを聞いた現場の人々はどう思うのか(本研究の成果が、現場の人々にとってどのような意味をなすのか)。

【A5】本研究が強調したいのは、当事者の能動性・戦略性そのものではない。当事者の能動性・戦略性に着目することで強調したいのは、当事者がみずからの能動的行為の結果として内罰的にしか捉えることができない「デスマーチ」が、実は、この業界に独特な常識的知識を背景とした相互行為の過程を通してはじめて生起する現象だということである。2000年代以降の変化を受けて、「デスマーチ」を内罰的に捉えつつも漠然とした疑問を覚えるソフトウェア開発者が増加している。そのような当事者たちにとって、本研究の成果は、「デスマーチ」を自己責任ではなく業界の歴史に根差す「あたりまえ」の問題として言語化し、内罰性を超えて変化への声をあげることを可能にする契機となるはずである。

【Q6】とはいえ、「デスマーチ」を、ソフトウェア開発者ならではのエスノメソッドから立ちあがる現象として解読したことは、企業がソフトウェア開発者たちを自発的に働かせ、搾取するための方法を明かしたことになるのではないか。

【A6】企業は労基署への説明責任を負っているのであり、管理・人事部門の人々に話を聞く限り、ソフトウェア開発者を搾取するどころか、むしろ定時で帰らせることに腐心している。ところが、「デスマーチ」を単なる労働時間の長さの問題や、開発者個人のオタク的没入の問題として理解しているため、企業として従業員の働き方を適切に管理する施策はまったく実を結んでいない。「デスマーチ」を業界全体を覆う「あたりまえ」の問題として解読した本研究の成果は、開発者たちだけでなく企業もみずからにとっての「あたりまえ」を相対化し、従業員の健康を守る実質的に有効な施策を模索する資源となるはずである。

▼今後の課題に関して

【Q7】博士論文で取り上げた事例の男女比はどれくらいか。関連して、「デスマーチ」はある種の男らしさを体現しているようにも思われる。ジェンダーの問題として捉えることも可能なのではないか。

【A7】ソフトウェア開発は体力に依存しない知的労働であり、雇用や昇進上の性差別がほとんど見られないにもかかわらず、その現場は、明らかな男社会をなしている。技術職の約8割が男性であり、博士論文で事例として取り上げた9人のうち女性は2人、(報告の場では言及しなかったが)特にキャリアの長い女性を探すのに苦労した。報告者も、ジェンダーの問題への目配りは必須であると考えている。ソフトウェア開発現場における「ガラスの天井」がいかにして形成されているのか、そして、それが「デスマーチ」とどのように関係しているのかを具体的に明らかにすることは、今後の重要な課題である。

【Q8】教師の世界や出版業界、医療現場における労働といった関心に引きつけて報告を聞くことができた。ソフトウェア開発者の「デスマーチ」と、これら他の現場の自発的労働との共通点/差異については、どのように考えているか。

【A8】「デスマーチ」を、規範的統制や日本的組織の性質に由来する一般的現象ではなく、ソフトウェア開発現場に独特の現象として解読したといいつつ、実は、分析の核となるソフトウェア開発現場に独特な常識としてのエンジニア〈コード〉が、どこまで/どのように独特なのかは十分に検証できていない。教師の世界や出版業界、医療現場などはもちろんのこと、アニメーターや商業デザイナーなど、知的・芸術的で客観的拠り所のない仕事の現場における自発的労働の事例と比較して、ソフトウェア開発現場の「デスマーチ」の特殊性を精緻に明らかにしていくことは、今後の重要な課題である。