例会レポート(2月) ライフストーリー研究会

三代純平 『日本語教育学としてのライフストーリー―語りを聞き、書くということ―』(くろしお出版)合評会

日時:2016年2月20日(土)15:00-18:00
於 :立教大学

評者1:太田裕子さん(早稲田大学)
評者2:松尾慎さん(東京女子大学)
司会:西尾広美さん(国立国語研究所)

(以下、著者の三代純平さんによる記録です)

Ⅰ 評論

太田裕子さんの報告—共通テーマをめぐって

 

1.ライフストーリーは語り手と聞き手によって共構築される
◆論点1:語り手が語ったライフストーリーは、聞き手その人だからこそ構築されたストーリー。
だとすれば、語りを規定した要素を、読者は知りたい。
では、どこまで、どのように、その要素を聞き手(研究者)は示せるのか。示すべきなのか。
◆論点2:ライフストーリーを資料(河路)/リソース(三代)として公開する意義と倫理的課題

2.聞き手である調査者の「構え」と「自己言及」の関係
◆論点3:ライフストーリーが語り手と聞き手によって共構築されたものだとすれば、聞き手である調査者が自身の「構え」を自覚し、吟味し、明示することは重要である。
では、聞き手である調査者は、自身の「構え」を、いつ、どのように自覚し、吟味するのか。
◆論点4:自らの「構え」を自覚し、自分とは異なる経験を持つ語り手のライフストーリーを理解できるかどうかは、「自己言及」そのものではなく、調査者の力量と経験によるところが大きいのではないか。
◆論点5:「構え」を自覚し、吟味し、明示するための方法は、「自己言及」的記述に限らないのではないか。

3.ライフストーリーの先にある「日本語教育学的語り」
―「あなたはライフストーリーによって何を語るのか」という問いにどう答えるか
(1)ライフストーリーに基づく日本語教育への問い直しと実践への示唆
◆論点6:「日本語教育実践」の範囲はどこまでか。

(2)ライフストーリーに基づく新たな日本語教育の実践の意義と可能性の提示から、自身の日本語教育実践を通したその実現へ
◆論点7:ライフストーリー研究に基づいて得た新たな実践の意義と可能性を、自身の現場で実践していくことは、日本語教師・日本語教育研究者のライフワークではないか。

(3)ライフストーリーの共構築そのものを、学びの場と捉える
①ライフストーリー・インタビュー自体を学びの場と捉える

②ライフストーリーを日本語教育実践に取り入れる
◆論点8:ライフストーリーを語り手と聞き手が共構築するプロセスから、日本語教育実践のあり方に示唆する点も大きいのではないか。
◆論点9:日本語教育実践は、過去の経験についての意味づけを促すだけでよいのか。新たな経験を生み出す場を作ることも、同時に必要ではないか。
◆論点10:ライフストーリーを日本語教育実践として利用する場合、何に留意すべきか。「ライフストーリー研究」と、日本語教育実践におけるライフストーリーの共通点と違いは何か。

 

松尾慎さんの報告:日本語教育におけるライフストーリー研究成果を広く世に問う可能性

 

1.ライフストーリー研究成果を一般学術誌に投稿する場合の課題
①「実証性」
a) 『日本語教育』 研究論文:日本語教育および関連領域について,先行研究に加えるべきオリジナリティーのある研究成果が,具体的なデータを用いて明確に述べられているもの。研究課題が明確に設定されており,データの分析を通して課題への解答が示されていることが必要です。今後の日本語教育の活動に資する発見や提言などが,教育実践の結果に基づき実践研究としてまとめられた論文もここに含まれます。研究論文では,オリジナリティー,実証性,論理性を特に重視して査読が行われます。研究成果におけるオリジナリティーの有無は,関連する先行研究の内容が十分に把握され,かつ,その研究領域での当該研究の位置づけが明確に示されているかどうかによって判断されます。
b)『社会言語科学』
研究論文 —- 独創性のある実証的または理論的な論文
ショートノート —- 萌芽的な問題の指摘,新事実の発見や興味深い観察及び少数事例に関する報告,研究装置や研究方法に関する指摘・提案など

②字数・紙幅の問題
『日本語教育』研究論文・・・39字×38行 14ページ(21840字)
『日本語教育』研究ノート・・・7ページ
『異文化間教育』研究論文・・・40字✕40行 10ページ(16000字)
『社会言語科学』研究論文・・・46字✕40行 16ページ(29440字)、ショートノート 8ページ
『早稲田日本語教育学』研究論文・展望論文・・・40字✕39行 20ページ(31200字)
『言語文化教育研究』・・・40字✕30行 30ページ(36000字)
『日本オーラル・ヒストリー研究』・・・論文18000字~28000字の範囲

2.本書に掲載された論文を査読的視点で読んでみる
論文1 「グローバル人材」になるということ ―モデル・ストーリーを内面化することのジレンマ 三代純平
● 分析、考察対象の妥当性
● Aさんの就職活動-「グローバル人材」になるということ

論文2 複数言語環境で成長する子どものことばの学びとは何か -ライフストーリーに立ち現われた「まなざし」に注目して 中野千野
● 研究の意義や目的に関し
● 調査協力者に関し
● 「まなざし」とインタビューの関係
● 「語りがたさ」(p203)
● データの解釈に関し(p205)
●5.3 日本語教育におけるライフストーリー研究の意義

論文3 語り手の「声」と教育実践を媒介する私の応答責任 ―日本語教育の実践者がライフストーリーを研究することの意味  佐藤正則
●研究の主体(p221)
● 「放浪者」に関し(p242)

論文4 日本語教育に貢献する教師のライフストーリー研究とは  飯野令子
● 経験の新たな意味生成に関し(p270)
● 日本語教育に貢献するライフストーリー研究とは(p272)

論文5 日本語教育学としてのライフストーリー研究における自己言及の意味 ―在韓「在日コリアン」教師の語りを理解するプロセスを通じて  田中里奈
● 「在日コリアン」とは
● 「構え」や「期待」と自己言及の関係
● (査読コメントではなく、コメント)「1.はじめに」

 

Ⅱ ディスカッション

松尾さんによる各論文へのコメントに対し、例会に参加していた各執筆者がコメントを返した。
次に、太田さんのレジュメをもとに、全体的なディスカッションへと移行した。

1.松尾コメントに対する執筆者のコメント
【三代】
・なぜAをとりあげたかについて、明確に書いてはいなかった。
書く過程で、分量の都合などで、一人に絞り込まれ、記述が落ちてしまった。
・どの時期のインタビューを行うかで、語りが変わるのではないかという点について。
就活直後のAの語りは、日本の就職活動で身につけたディスコースの影響を強く受ける。
そして、働いている最中は、企業が求めるグローバル人材のイメージを反映する、そのようなモデル・ストーリーと語りの関係を見ることで、「グローバル人材」の内実に迫れると思われる。
そのようなこころみとして書いたつもりだが、説明が不足していたかもしれない。

【中野】
・「まなざし」と「構え」について。
「構え」は静的なもの、「まなざし」はより動的なものと考える。
調査者が持ち込む「構え」に焦点を当てるだけでは見えてこないものが、相互の「まなざし」を見ることで見えてくる。
調査者のみではなく、調査者をまなざす調査協力者のまなざしも重要になる。

桜井:「構え」というのは、調査のプロセスで変わって行くもので、静的ではない。
フィールドに入る前の「構え」とフィールドで経験するなかで作られる「構え」は同じではない。
そういう意味では、動的と言えるのではないか。

【佐藤】
『放浪者』という捉え方について。
個人的には、2000年代前半の中国人留学の状況は『放浪者』という概念で捉えることができると考えている。
そして、近年の、ベトナム・ネパールの留学生の状況は、当時に重なる。現場にいると、またか、と思う。

【飯野】
実践を教室に限定している点について。
欧州における教員養成に関わってきたので、たしかに、教室を想定していた。

松尾:そのような立場を否定はしないが、自分は、もっと広く実践を捉えたい。
かき工場のドキュメンタリーを見てきたが、それも日本語教育実践だと自分は思う。
飯野:教室の外も、広く、日本語教育実践とするということか。
松尾:そうではなく、それこそが、日本語教育実践だと自分は思っている。
論文では、調査対象者の学びや教育観の変化を重視しているが、飯野さんの教育観や実践に対する考えの変化はないのか。
太田:論集において、他の章では、自己言及に傾きすぎているきらいがあるが、飯野さんの原稿では、もう少し飯野さん自身の変化なども書かれてもよかったのではないか。

2.全体ディスカッション
【LS研究と実践】
三代:この論集を編集したとき、日本語教育学のLSを考える上で、教育実践との関係が重要になると考えていた。
それをある程度、示せるかと思ったが、編集してみるとそこまではいけなかった。
佐藤さんは「応答責任」という言葉で、研究が自己の実践に反映されていくべきだと主張しているが、それも一つの実践とLS研究の関係だと思う。
太田さんも指摘しているが、そこまで、一対一対応で考える必要はない。
また、前に、教室実践と外の実践の話が出ていたが、松尾さん自身は、教室実践自体を外に開いていく実践をされていて、それがおもしろいと思う。
そういう意味では、教室の内外の議論も、実践の可能性を狭めている。
もう少し、有機的、かつ、丁寧に、LS研究と実践の関係を考えていきたいと思う。
佐藤:自分自身は、そこまで一対一のように考えて「応答責任」とは言っていない。
「応答責任」は、責任と言うが、応答せざるをえない、とも言える。
語りをきいた自分は、聞く前の自分とは違い、そのことは、否が応でも、自分の実践に影響を与えている。

【まなざし】
中野:「応答責任」の話は、「まなざし」につながる。相互のまなざしを捉えることが実践につなげる上で重要。

桜井:さきほどは、「まなざし」と「構え」はそんなに違わないと言ったが、やはり、違う。
(LS研究の世界観の基盤となる)シュッツの現象学では、見る-見られるという相互行為、共同主観から世界を捉える。
そういう意味で「まなざし」に近い。
ただし、「構え」は、調査方法における概念として提案している。
調査主体とは何だ、という問いがある。
その背景には、それまで、調査者の「構え」がインタビューに与える影響に、インタビュー研究が無頓着だったということがある。
「まなざし」として言われているような世界観から研究を考えるための概念としての「構え」だった。
その意味で、そこに戻っていくようで面白い。

【客観性】
参加者A:論集では、自己言及的な記述が強調されている。
しかし、LSを相互行為の中で構築されたものとして見たうえで、それを分析するのは客観的である必要があるのではないか。
そうでないと、松尾さんの指摘にあったように、査読者や教授を説得できない。
研究として認められない。自分は、LSが研究として認められるようにしたい。
三代:日本語教育に関していえば、研究者は、同時に教師でもあることが多い。
その意味で、教師である研究者の経験を描く方が、現場に還元されるものが大きいと思われる。
それがすべてとは思わないが、「リソース」として研究を共有し、一つの実践共同体としての日本語教育コミュニティを形成することに寄与するためには、自己言及的な記述は、大きな意味をもつアプローチだと思う。
桜井:自己言及的記述は、必ずしも必要ではない。
対話的構築主義と言ったが、そこでもっとも重要なのは、相互行為をみるということ。
協働的な客観性?を担保するためだった。
参加者B:イギリスに留学していたが、向こうでは、質的研究は、随分前から当たり前で、客観性などとは言われない。
そもそも質的研究は、客観性を否定したところから入ったのではないか。
参加者A:自分の専門は、医療系だが、それでは、客観主義の教授たちを説得できない。
参加者B:それならば、量的な研究と質的な研究を補完的に用いる研究法をとればどうか。
そのような研究法の書籍も出ているので、参考になるはず。
桜井:従来もそのような手法はあった。
しかし、質的研究が量的研究の補助的なものとして扱われることが多い。
固有なことばの意味や時代との関係性を丁寧に解釈することが質的研究の特徴と言える。

【ライフストーリーとナラティブ】
参加者B:ライフストーリー研究は海外でもあるのか。検索しても見つからない。
桜井:あるにはある。ただ検索すると、口述の自伝のようなものがおおくひっかかる。
参加者C:イギリスの大学院で、ナラティブを研究していた。
そこでは、ライフストーリーは、データのことで、分析方法は、ナラティブだった。
桜井:ライフストーリーを分析する視点の一つとして、ナラティブはある。
ライフストーリーはライフヒストリーから出発している。
ライフヒストリーは日記なども分析するが、そこで、経験の語りの注目したものが、ライフストーリー。
いくつか、ライフストーリーと言っていた文献が英語にもあったが、確かに最近は、ナラティブということばの方が優勢かもしれない。
参加者C:イギリスでは、ライフストーリーは、データなので、ライフストーリーを量的な手法で研究するという研究もある。
桜井:ここ(LS研究会)でのライフストーリーは、あくまでデータをインタラクションとしてみる。
LSが、インタラクティブに構築されるというのは、世界の共有認識としてあると思う。

【LSの展開】
太田:研究方法としてのLSを研究することが主に議論されているが、同時に、LS研究を方法、目的、ツールとしてのみとらえないことも重要ではないか。
今後は、LSを実践方法として捉えることも視野に入れることで、LSの可能性は広がると思う。